国際シンポジウム「保育とデジタル -その役割と可能性-」
乳幼児の発達や保育・幼児教育の実践、そのための政策に係る研究を推進する東京大学発達保育実践政策学センター(Cedep)。
前編では、2020年12月4日に開催されたオンラインシンポジウム「デジタル時代における絵本・本の価値を探る~子どもたちの豊かな読書環境の実現を目指して~」の内容についてお伝えした。
レポート後編では、今度は同年9月26日に開催された「保育とデジタル -その役割と可能性-」の内容についてお伝えする。こちらはCedepと全日本私立幼稚園幼児教育機構が共催した国際シンポジウムで、全世界から計500名の研究者や保育現場で働く方々が集まっていた。
http://www.cedep.p.u-tokyo.ac.jp/event/19318/
子どもの育ちや学びに資するものとして 、デジタルにはどのような可能性があるのか。直接体験を重視する日本においても、デジタルは浸透していくのか。シンポジウムでは、乳幼児期のデジタル活用に関する研究を推進してきたいくつかの海外事例が紹介されたが、本レポートでは、キーノートとして発表されたオーストラリア・モナシュ大学・Marilyn Fleer教授による事例紹介をお届けする。
※本記事では、Cedepシンポジウムページ掲載の資料を引用転載しております
デジタルによって拡張された、保育施設の遊びとは
シンポジウムが開催された2020年9月、オーストラリアは新型コロナウイルス感染症によりレベル4のロックダウン中だった。「必要不可欠な保育現場も特異な状況に置かれ、幼稚園児の多くは家庭にいながらオンラインプログラムを受講中なのよ」とMarilyn Fleer先生は現地の様子を肩をすくめながら伝えた。
Fleer教授が所属するのは、モナシュ大学教育学部のConceptual PlayLabという研究チーム。
同ラボでは、「科学・工学・テクノロジー(SET)に関連する乳幼児の概念形成に関する研究」「家庭でのSET学習を支える家庭教育の条件に関する研究」「遊び中心の保育施設におけるSET教育に関する、国レベルの科学的根拠に基づくモデルの研究」を行っており、これらは、オーストラリア政府のAustralian Research Councilによる研究助成の対象でもあるという。
カンファレンスで紹介されたのは、デジタルプレイに関する「微視発達的分析」のケーススタディ。微視発達的分析とは別名で「マイクロジェネティック分析」とも呼ばれており、認知発達研究のアプローチ法の一つとして、実際に変化が起こった瞬間の特定の能力の変化のデータを観察して詳細にとる手法を示す。
今回は保育施設へのデジタルツール導入に関するケーススタディとなっており、遊び中心の保育施設へのデジタル導入によって、子ども達にどのような「新たな要請(new demands)」が発生するかについて検討するものであった。
具体的には、3歳から5歳までの103名の子どもを対象に、3~8週間の観察が行われた。スローメーション(スローアニーメーションの略称)と呼ばれる、ストップモーションのアニメーションや動画をつくるための方法が研究アプローチとして選ばれており、子ども達はそれを通じて劇化したごっこ遊びをしたり、劇の様子をiPadの写真や動画機能で撮影するなどして遊んでいった。
ケーススタディーによる研究結果ステップは以下の通り。デジタル・テクノロジーが、子どもの自由な遊びをより豊かに深化させる可能性を十分に示していると感じる内容であった。
[結果1]遊びへの新たな可能性をもたらす条件の生成
デジタル・テクノロジーは、子どもの遊びと発達に新たな可能性をもたらす条件を生み出している。
例えば以下写真の通り、iPadに映し出された被写体があまりにも鮮明だったので、写真や動画が「現実」か「非現実」かが分からなくなり、それを見分けるために大人に質問をしてきたという。まずもってこれが、一つの「新たな要請」というわけだ。
[結果2]発達の社会的状況に併せて多くを要請
続けて、デジタル・テクノロジーは子どもに「多くを要請するもの」でもある。
例えば以下写真の通り、オーウェンという男の子の関心は劇の主人公そのものにあったが、ジンジャーという女の子は劇の動画を撮る“方法”に関心があった。つまり、オーウェンにとってはデジタル・テクノロジーなんら何かを要請するものではなかった一方で、ジンジャーにとっては多くを要請するものであったということになる。
ちなみにここで研究チームは、「発達の最近接領域」で有名なソビエト連邦の心理学者レフ・ヴィゴツキー(1896-1934)による「発達の社会的状況」の概念を用いている。詳細については言及しないが、各年齢に特有となる子どもと環境の関係を前提にしたデジタルプレイの特徴を抽出しようという試みいというわけである。
[結果3]具体的な要請例
動画撮影に関心を示したジンジャーは、デジタルプレイによって以下表の通り、新たな「概念的・技術的・社会的な要請」(横軸)を受けたことになる。
このように、ヴィゴツキーの「発達の社会的状況」概念を使うことで、新たな概念的・技術的・社会的要請があることは判明したわけだが、 では子ども達がごっこ遊びをする上で前提となる「虚構場面」はどのように生み出されるのか。この命題が次なる課題になった。
そこで研究チームが着目したのが、同じくヴィゴツキーによる「遊び」概念だ。デジタルプレイを説明するには、新たな遊び゙の概念化が必要であるとのアプローチの元、研究チームは以下の3ステップによる仮説を立てた。
- メタ的虚構場面
- デジタルプレイスホルダー
- バーチャルピボット
[結果4]メタ的虚構場面の創出
実際に撮影をする際、子どもは劇という虚構場面をつくる“ごっこ遊び”をしながら、さらに発展させて、観客視点での「メタ的虚構場面」も生み出していった。
例えば劇を撮影する際、「自分の手が入り込んではいけない」など、「撮影者」としてだけではなく「観客」としての視点からも場面を考察し、細かな設定を創りこんでいったという。
[結果5]デジタルプレースホルダーとバーチャル・ピボット
さらにiPadというデジタルツールは、劇という遊びを保存・再生する「プレースホルダー」として機能しただけでなく、遊びの意味を即興的に転換する「バーチャル・ピボット」として、その役割をさらに拡張させることにも貢献していた。
以上の通り、メタ的虚構場面、デジタルプレースホルダーおよびバーチャル・ピボットという概念を援用することで、ヴィゴツキーの「遊び」概念 が拡張されたと言えるという結論に、研究チームは帰結したという。
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前編でも登場した、東京大学大学院教育学研究科長の秋田喜代美氏は、シンポジウムの総括として次のように述べている。
秋田氏:「保育施設の遊びの場にデジタルツールを導入するとき、ツール単体で良し悪しを論じるのではなく、場や環境、文脈の中で在り方を問うのです。
また、個人での利用ではなく、小集団内での相互作用に注目することも重要で、子どもの心理や子どもにとっての経験や出来事という視点からデジタルツールの働きを考える必要があります。
保育者が何をすればよいか、スクリーンタイムのようにデジタルの情報をみせてよいのかどうかの議論ではなく、子どもにとってどのような状況ならどのような機能を果たすのか、という問いの探求が大切だと言えます。」
ライター後記
デジタルはリアルと比べて、五感と臨場感が欠如していたり、ステレオタイプの情報の消費者になりやすい等の懸念はあります。
しかし、おもちゃなどと並列に、あくまでもひとつのツールとして「創造的に活用」すれば、遊びを拡張し、より深い経験や学びをもたらす可能性があると感じました。
子どもたちが、最大限自力で操作できるデジタルツールやソフトウェアを使い、リアルな世界を新たな視点で捉え、表現し、イメージや物語を自由に発想していくことが、この時代ならではの面白い保育の在り方なのではないでしょうか。