2024年2月28日〜3月15日にかけて金融庁が主催した「Japan Fintech Week 2024」。そのコアウィーク(3月4日~8日)の初日を飾ったJapan FinTech Festival(主催:Elevandi、メイン会場:神田明神の境内)では、フィンテック関係の様々なステークホルダーが国内外より来場しており、ネットワーキングやセッション聴講、個別ルームでのディスカッションなど、大いに盛り上がっていた。
本記事ではその中でも、初日に設置されたラウンドテーブル「インクルージョンとダイバーシティが追いやられる – コンプライアンス強化時代の金融排除への対応」の様子をお伝えする。
年々増加/複雑化する金融犯罪に対応すべく厳格なAML/CFT(マネー・ローンダリング及びテロ資金供与対策)を実施することは非常に重要であり、国際的な協調を前提とする金融活動作業部会(Financial Action Task Force、通称:FATF)の勧告といった国際基準への準拠が求められているからこそ、例えば我が国においては犯罪収益移転防止法を通じた特定事業者への規制等が敷かれている。
一方で、そのような厳格なAML/CFTの存在が、結果として金融包摂を阻害している可能性もある。ということで、本ラウンドテーブルでは以下のメンバーが中心となって、現状の共有やデータ主導のeKYC・リスク分析といったそれら金融排除の課題を克服・解消するためのソリューション等についてディスカッションがなされた。
- Taejun Shin(Founder & CEO Gojo & Company)
- John Ho(Head, Legal, Financial Markets Standard Chartered Bank)
- Jonathan Whittle(Co-founder & Managing Partner Quona Capital)
- Lisette Cipriano(Principal Digital Finance Specialist Asian Development Bank)
- Lotte Schou Zibell(Advisor, Finance Sector Asian Development Bank)
- Tanya Hotchkiss(CTO & EVP Cantilan Bank)
- Vivek Pathak(Regional Chief Risk Officer International Finance Corporation)
- Marek Dubovec(Director of Law Reform Programs)※モデレーター
- Shawn Hunter(Industry Fellow (APEC) & Director, Inclusive Growth Programs)※モデレーター
なお、本ラウンドテーブルはチャタム・ハウス・ルールでの運営となっているため、本記事においても、最初の知識のインプットを目的としたモデレーターによる解説箇所を除き、発言者を特定する情報を伏せてレポートする。
※本文中に掲載している会場の写真は、発言者とは関係がありません
※本記事ではDe-bankingを、Financial Exclusionと同義の「金融排除」と翻訳します(今回は米国における“脱銀行化”の文脈ではないため)
※本セッションは英語で開催されました。本記事は、執筆者の意訳をベースに作成しています
金融排除(De-banking)とリスク排除(De-risking)の現状
まずはディスカッションの前提知識として、モデレーターのお二人より、金融排除(De-banking)/リスク排除(De-risking)のあらましや、金融包摂への影響、それに対する防止策等についてのイントロダクションの時間が設けられた。
金融排除(De-banking)とは、AML/CFT規制の不遵守を理由に、金融機関が口座を閉鎖したり、開設を拒否したりすることを指す。またリスク排除(De-risking)とは、リスクが高すぎると認識される顧客カテゴリー“全体”を排除することを指す。金融機関としては、AML/CFT規制の遵守にまつわるコスト/工数等を削減し、より効率的な運用を進めるべく、このような金融排除/リスク排除の力学で動くことがあるわけだが、それが金融包摂の取り組みに意図しない結果をもたらすことになっている。
これらが発生する主要因の一つが、本人確認の存在だという。特に発展途上国では、紙/電子を問わず、多くの国民が公的(もしくはそれに準拠する)身分証明書へとアクセスできなかったり、そもそも持っていなかったりする。AML/CFTの要件が厳しくなればなるほど、この本人確認が大きな障壁として立ちはだかることになる。
国連やADB(アジア開発銀行)のような国際機関による法的枠組みや金融インフラへの投資活動においては、金融機関が銀行口座を持たない人々や十分なサービスを受けていない人々にサービスを提供することを奨励している。一方で冒頭にも記載した通り、AML/CFT規制は金融犯罪に対応するために必要な措置でもあるわけで、それらがオペレーション上の理由等により厳格化した際には、こういった金融包摂の考えは打ち消されてしまう。結果として、本当に排除が必要な人以外の排除も強行され、金融アクセスの格差が広がってしまうことになる。往々にしてその対象となるのは、女性や若者、移民、それからMSME(中小零細企業)などだと、モデレーターのShawn Hunter氏は説明する。
※Hunter氏は、オーストラリア・グリフィス大学にあるアジア研究所でプログラムディレクター兼業界フェローを務めており、2023年に立ち上がった「金融犯罪調査およびコンプライアンスに関する卓越的なアカデミー(Academy of Excellence in Financial Crime Investigation and Compliance)」という新しいプログラムの一環として、金融排除/リスク排除の問題にフォーカスしたホワイトペーパーの作成を進めているという
AML/CFTの国際基準としては、冒頭にも記載したFATF勧告が最も有名且つ影響力の大きなものになるわけだが、その排他的な性質にはかねてより懸念が持たれており、社会システムから疎外された人々の金融アクセスを向上させる努力を阻害する可能性があると指摘されてきた。
これに対してFATF側も、AML/CFT要件が金融包摂の取り組みに与える影響を最小限に抑えることを目的とした「リスクベースアプローチ」による規制的枠組みや、技術的ソリューションを促進するための措置を講じてきたわけだが、良くも悪くも「基準」な訳であって、実際の現場への落とし込み段階においては、アジア太平洋地域全体をはじめ、各国で引き続き課題に直面している状況だ。
金融包摂とリスク管理のバランスを考える
この金融排除/リスク排除への規制側の視点としての説明を担当したのは、もう一人のモデレーターを務めるMarek Dubovec氏だ。同氏は、国際法研究所の法改正プログラムディレクター を務めている人物で、過去15年間にわたり、IFC(国際金融公社)をはじめとする様々な機会に向けて法改革プログラムの実施に携わってきたという。
そんなDubovec氏が最初に金融排除を認知したのは、約10年前、自宅があるアリゾナ州にてヒスパニック商工会議所の会議に呼び出された時のことだった。要件としては、アリゾナとメキシコの国境沿いにある銀行支店の閉鎖について話し合うことだという。その銀行が閉鎖されてしまうと、地元企業、特に国境を越えて活動する企業に大きな影響を与えることが懸念されていたわけだ。この問題の背景には、過去数十年にわたって地元の銀行がJPモルガン・チェースやウェルズ・ファーゴといったナショナル・バンクに買収されていき、リスク評価の意思決定が中央集権化されていったことが挙げられる。具体的には、特定の顧客との取引に関する意思決定は、国境の支店ではなく、サンフランシスコやフェニックスで行われるようになったという。その結果、地元の状況に対する解像度が低下し、特に国境地帯でのビジネスのリスクを適切に評価することが難しくなっていって、結果として地元のビジネスに経済的な混乱をもたらしたという。
このような一金融機関の本店と支店といったミクロなレベルでも方針の断絶があれば、国際機関レベルでも方針の違いが生まれており、それが混乱の一因にもなっているとDubovec氏は強調する。つまり、国連の持続可能な開発目標やG20のデジタル金融包摂に関する原則といった金融包摂を促進するための国際的な取り組みがある一方で、リスク管理やマネーロンダリング防止等を重視するFATF勧告のようなルールもあり、そこで政策としてのトレードオフが発生しているという。結果として基準が各国へと降りていった際に、ある金融機関はより金融包摂的な姿勢を強調して枠組みを作り、一方で別の金融機関はより厳格なAML/CFTの姿勢で対応する。そういった断絶を解消するためにも、金融包摂とリスク管理のバランスを取るという観点で、今後更なる強調が広がることに期待したいとDubovec氏は説明する。
「FATFはリスク管理の実施に関するガイドラインを提供していますが、世界銀行グループを含む多くの機関から、これらのガイドラインがあまりにも一般的で、国の規制当局が具体的な指導を行うには不十分であると指摘されています。このため、多くの金融機関はリスクベースアプローチを取ることに消極的であり、マイクロファイナンスやマイクロインシュアランスなどのサービス提供も含めて、個々の金融状況に基づいたリスクを評価することを困難にしているのです。そして大きな課題となるのが、先ほど出てきた本人確認となります。この問題を緩和するために、デジタル手段で個人の身元確認を進めるeKYCといった、デューデリジェンスプロセスを効率化するようなプログラムの導入が、ここ最近では特に推進されてきています」
少し専門的な話になるが、各国はFATFが公表しているガイダンスを参考にNRA(National Risk Assessment:犯罪収益移転危険度調査書)というツールを使ってリスク評価を行い、その結果を基にしてFATFにより相互審査が行われる。この相互審査では、評価者によってリスク管理が不適切であると判断されたり、金融機関に与えられた柔軟性が過度であると見なされることがある。日本も、2021年8月末に公表された「FATF第4次対日相互審査報告書」において強化(重点)フォローアップ国という評価が下されている。このような評価アプローチがなされることもあり、規制当局は往々にしてリスク回避的なアプローチを取る傾向があるわけだ。
だからこそ、Dubovec氏は規制の枠組みをよりアジャイルにすることには大きな関心を持っており、そのためには様々なアプローチを試みているという。その一つが「原則に基づくアプローチ」ということで、規制当局が一連の原則を設定し、金融機関はこれらの原則を個々の取引に適用するというものだ。だがこれについても、原則が一般的な内容になってしまうリスクがあることから、結局は金融機関ごとの解釈の違いが発生するという、本質的にはFATFと同様の問題がある。
「原則に基づくアプローチは基本的に柔軟性が高いように思われますが、その一般的な性格を考えると、現場ではうまく適用されないことが想定されます。これもまた、多くの社会的弱者を実質的に排除していると言えます。こちらの図を見てもお分かりの通り、SDD(Simplified Due Diligence、最低限のデューデリジェンス)でさえ52%(左グラフ)の司法管轄区でしか実施されていませんし、所得階層別(右グラフ)に見てみると、実施しているのは低所得国では1ヵ国だけです。これを見てもお分かりの通り、SDDは現場で利用されていないのです」
ワンサイズ・フィッツオールのアプローチは存在しない
イントロダクションとしての状況の共有がなされたあとは、会場参加者によるざっくばらんな意見交換がなされた。ここからは、各意見の要点をまとめる形でご紹介していく(冒頭に記載した通り、チャタム・ハウス・ルールでの運用を踏まえて、ここでは発言者を特定しない形とする)。ここで出てきたポイントとしては、枠組みに比例性の概念の導入、透明性を高め金融排除される顧客に対して明確な理由と通知の提供、それから規制の予測可能性についてだ。
「銀行のコストの問題が論点の一つとしてあると思う。例えば、$3,000の小規模融資と$3,000,000の融資を比べてみると、コスト的に非常に非効率的なので、銀行としてはどうしても大口の融資を好む傾向にある。このような状況が、特に低所得者層への金融サービスが提供されにくい一因となっていることは自明だ。
さらに金融機関がAML/CFT規制で罰せられた場合、更なるコンプライアンススタッフの雇用が求められることになるので、それが結果的に運用コストの増加を招くことになる。そうなると、銀行は小規模融資やマイクロファイナンスを避けるようになり、金融包摂がさらに困難になっていくという悪循環に陥るだろう。
そのような背景を踏まえて、金融サービスの拡大と金融包摂を進めるためには、全ての個人にデジタルアイデンティティを提供することが重要だと思う。デジタルアイデンティティがあれば、ブロックチェーンなどの技術を活用することで、資金の流れやその出所を正確に追跡することができるようになる。そうすれば、より透明で安全な金融取引が可能となり、低所得者層へのサービス提供が向上することが期待される」
「私の経験上、マイクロファイナンス事業を運営する上でKYCは通常問題にならない。ただ例外的に、ミャンマーではID証明書がないことで支援が困難になっているケースがあった。これは、少数民族が国内での地位を維持しているため、ID証明書を作成することが困難だったからだ。
一方で別の観点から、他国でのマイクロファイナンス銀行やマイクロファイナンス機関の買収を試みる際に、規制当局に対して取締役や管理メンバーの非犯罪記録を提出するよう求められることがあり、これが極めて大変な作業になる。特に、記録を迅速に提出することが不可能な場合や、銀行が英語での記録提出を渋る場合などで問題になってくる。
このような規制の厳しさは、特に小規模融資の観点で事業を展開しにくくしており、発展途上国での金融包摂の拡大を阻害していると思う。融資の規模に基づいて異なるアプローチを採用することで、規制の負担を軽減し、より現実的な事業運営が可能になるのではないだろうか」
「FATF要件に対する銀行の対応としては、リスク排除が顕著であって、金融排除になることは稀な印象だ。そんなFATF要件だが、「リスク評価」と「リスクベースアプローチの適用」に「比例性(proportionality)」という言葉を加える改訂が議論されている。つまり、条件によっては簡略化された措置の実施も検討されるということで、これらの変更は小さな調整に見えるかもしれないが、大きな影響をもたらす可能性がある。
なお、少し具体的なケースもご紹介したいのだが、ナウル共和国という世界で3番目に小さな国(人口は約1万人)には、中央銀行は存在せず、唯一オーストラリアのBendigo銀行の支店がある。そのBendigo銀行も今年末にナウルから撤退する予定とのことで、オーストラリア政府の協議が重ねられているが、現時点では解決策が見つかっていない状況だ。リスク排除の具体的な影響の一例として認知しておいてもらいたい」
「投資家としては、特定の市場セグメントに対する規制の厳格化を避け、特定の集団が金融的に排除されないようにすべく、規制の枠組みを利用して銀行に働きかけていくことが、基本的には重要だと考えている。だが現実的には、サービス提供のコストが非常に高いことに起因して、銀行のインセンティブが金融包摂と必ずしも一致していないため、競争なくしてこの問題を解決することはできないと思っている。したがって、金融包摂にしっかりと取り組みながら、市場ベースのアプローチを採用する規制当局が必要なのではないだろうか。というのも、それがなければ規制による制約が常につきまとうことになるだろう。多くの中央銀行や規制当局は金融の安定性に主眼を置いているが、本当に重要なのは規制の予測可能性だ。あとそれに加えて、関係者とのエンゲージメントも非常に重要になってくるだろう」
「たしかに競争の激化は一つの道だろう。でも現実的に考えると、新興の送金業者であればあるほど、そのまま閉鎖されるリスクも高くなると言える。というのも、例えばMoneyGramというグローバルな送金事業者でさえ、ラテンアメリカの国にいる従業員に給料を支払ったためにリスク排除の憂き目にあっている。金融機関がその地域から閉鎖/撤退したら、そのリスクはどこに移転するのか?この“リスクの集中”について、もっと規制当局と金融機関間の協調を以って取り組んでいく必要があるし、その理由を正当化するためのメトリクスを設定するなどしてもっと透明性を高めていく必要があると思う。先ほどのナウル共和国に対するオーストラリア政府の対応なんかは、透明性を高める取り組みの一つとして挙げられるだろう」
「フィリピンでは、パンデミック前は成人の3分の1しか銀行口座を持っていなかったが、現在はテレコミュニケーション企業のウォレットが主導し、約9,000万人のフィリピン人がデジタル取引を行えるようになった。そんな中、デジタルバンキングのライセンスを持つ銀行ではデジタルファイナンスサービスが提供されているが、これには大きなコストがかかっている上に、デジタル化に伴う規制の厳格化も進んでいる。特に、AML対策としてのオンライン支払いシステムには多額の投資が必要になっており、小規模金融機関にとっては特に管理が困難な状況となっている。
また、フィリピンはFATFのグレーリストからの脱却を目指して新しい規制を導入してきたが、これが小規模な金融機関にとってさらなるコスト増につながっている。規制は銀行の規模にかかわらず適用されるため、比例性に欠けており、小規模な農家や中小企業オーナーにサービスを提供する地方銀行には不利に働いているのが実際のところだ。
さらに、フィリピンでは国民IDの完全な受け入れがまだ実現しておらず、政府発行のIDが5〜6つ存在して一貫性がない。このため、銀行はPEPs(外国の政府等において重要な地位を占める者)のデータベースを一から作成しなければならず、そのメンテナンスコストも莫大になってしまっている。これらの問題は政策レベルで取り組む必要があるわけだが、現時点では解決策が見えていない状況だ」
「金融包摂について話し合う前に考慮すべき重要な点がいくつかあると思う。まず、現在世界では多岐にわたる制裁が行われており、これが銀行業務にも影響を及ぼしている。これらの制裁は、特定の地域全体、特定の企業や団体、さらには特定の産業セクターに対して適用されている。
またこれまで議論してこなかった点として、ESGへの配慮が挙げられるだろう。今、多くの銀行が環境への悪影響を理由に特定のセクターへの資金提供を拒否していることが新たな課題となってる。特に石油・ガス産業や石炭産業に関わる企業は、多くの銀行がネットゼロ達成のコミットメントにより資金提供を停止する方針を取っているため、資金調達が困難になっている。
さらに、銀行口座を持たない層や金融サービス未提供層が直面しているもう一つの問題として、与信履歴がほとんどまたは全くないことから、データ不足に起因してAML/CFTチェックが困難であることだ。銀行口座を持つこと自体にコストが伴う点も忘れてはならない。
このように、銀行によるサービスの提供/排除には多面的な理由があり、ワンサイズ・フィッツオールのアプローチは存在しない。各々の状況に応じた対策が求められているのが現状と言えるだろう」
進歩的な規制環境として参考になるインドとブラジル
ここまでの議論を踏まえて、モデレーターのShawn Hunter氏は少し整理をした。
ある人は、既存のシステムの枠内で包摂できる人はすでにほとんど包摂されてしまっているという悲観的な見方を示している。デジタル革命が進む中、より多くの人々に金融アクセスを提供できるようになったことで、これらのサービスを利用するだけの資金を持っていない人々を含めようとする動きが、銀行にとっての新たなリスクを生み出していると指摘している。一方で、デジタル革命を通じて新たな機会を模索している過渡期の段階にあると捉える見方もでき、デジタル決済やAIなどの技術を通じてデータを利活用し、顧客をより深く理解してビジネスチャンス等を模索している段階ともとれる。
「今話し合われた問題に真に取り組むために、私たちがこれから推し進めるべき重要なポイントは何でしょうか?参考となる事例は何が挙げられますか?」
ここについても会場からは、複数の事例が引き合いに出されながら様々な意見が飛び交った。
「インドは一つの参考になると思う。ご存知のように、インドでは国民全員を対象としたID登録プロジェクト「Aadhaar」を実施し、また2016年にはモバイルから支払いや送金が簡単にできる小口決済インフラ「UPI(統合決済インターフェース:Unified Payments Interface)」が導入されている。多くのユニコーンやデカコーンの誕生は、この2つのプロジェクトの賜物だと言えるだろう。
これらの取り組みを牽引した人物の一人として、Infosys社2代目CEOのNandan Nilekani氏が挙げられる。まさにインドのロックスターなCEOで非常に影響力のある方なのだが、彼自身、官僚主義によってプロジェクトが二度にわたり失敗しかけたと語っていたのが印象的だった。そんな中この壮大なプロジェクトを成功させることができたのは、優れた規制機関が存在していたからであり、独立性や予測可能性含め、制限された規制を備えた規制機関としての役割が大きいとされている。インドの規制機関は、多くの面で世界で最も優れていると評価されている。
しかし現在の地政学的な緊張の高まりの中では、このようなプロジェクトを他の国々で実現することは難しいとも思う。世界的な平和と安定した制度が確立され、良好な実践を行うための環境が整うことが先決で、そこができて初めて、その次のステップに行けると思う」
「ブラジルも、アメリカを含む他のどの国よりも進歩的な規制環境を整えていると評価されている。例えば納税者IDの立ち上げを皮切りにデジタル化が進められ、約2年前に、すべての税金取引や領収書取引がデジタルでできるようになった。これらの取り組みは、市場における競争を促進し、金融包摂を進める一連の改革につながった。5年前には銀行資産の90%を占める5つの銀行のうち、3つが民間で、銀行浸透率は50%だった。それが競争を導入することによって、銀行浸透率が95%に達し、GDPに占めるクレジット浸透率も53%に増加した。金融機関の数も、10年前の176行から倍増している。
ブラジルの動きを見ていると、中央銀行の独立性と安定性が非常に重要だなと感じる。同国では左派と右派の政府の下で独立性が保たれており、中央銀行は長期的な方針を策定し、業界との広範な協議を通じて、競争と規制の絶妙なバランスを保っている。この結果、システムにも大きな安定がもたらされ、この20年間で大きな銀行の破綻はなく、一方で新規参入者は大幅に増加している状況だ」
「金融包摂というテーマで振り返ると、世界にはまだ何億人もの人々が身分証明書や銀行口座を持っておらず、電気や通信網の接続、さらには携帯電話さえも持っていない状況にある。これらの人々が住む国々での解決策を模索することが非常に重要だと思う。
私はアジア太平洋地域をメインの活動拠点としているが、この地域では、特にオーストラリアやニュージーランドへの送金が多く、世界で最も高額な手数料がかかることが問題となっている。
数年前、サモア独立国からeKYCシステムの開発を手伝ってほしいという依頼があった。サモアには選挙が義務付けられており、電子化されてはいないものの選挙人名簿のデータベースが存在するため、これを活用してeKYCシステムの実証実験を行うことができた。しかし、この実験がデリスキングにどのような影響を与えたかを評価することはできなかった。開発機関としての役割は、こうした試みを開始し、その後中央銀行や関連する銀行がプロジェクトを前に進めるかどうかを見守ることだと思う。他にも、eKYCプラットフォームの所有権やコストの問題が残っている。
他にも太平洋地域の9つの中央銀行を含む地域イニシアティブも進行しており、そこでは地域全体でのeKYCプラットフォームの設立を目指している。なかなか進展はしていないものの、そのプロセスを通じて各国の法的・規制的枠組みの評価や改善が進みました。この経験は、法的・規制的問題に取り組むきっかけとなり、有意義な成果をもたらした」
「フィリピンの中小金融機関の立場から付け加えると、私は、中小金融機関や大手金融機関のデジタルトランスフォーメーション・ロードマップをどのように再定義すべきかを考えなければならなかった。しかし小規模な金融機関では、例えばAML/CFTコンプライアンス・システムまでを含む、エンド・ツー・エンドで予算の制約を考慮するような包括的なアプローチが欠けていると感じている。というのも、私たちは通常コア・バンキングやデジタル・バンキングをどのように行うかだけに目を向けがちで、例えばAML/CFTや不正管理といった、通常であれば多額の費用がかかるシステムに投資しなければならないことの影響から目を逸らしがちだ。
ここに対する公共部門からの補助の必要性について考えてみたい。例えばフィリピンはFATFのグレーリストに名を連ねているが、個々の私立機関がこれらのシステムへの投資を行うことが期待されている状況だ。しかしこれは断片的なアプローチであり、例えばPEPsデータベースについては各銀行が自ら作成しなければならないため、非効率なプロセスを生み出しているし、結果としてAML/CFTコンプライアンスを強化しようとする規制当局の目的に反する結果を招いている」
取材/文/撮影(一部):長岡武司