ウクライナとルーマニアに挟まれた東欧の小さな国・モルドバ共和国。農業を主要産業とし、シャトー・プルカリをはじめとするワインの生産で有名な同国は、ロシアによる隣国ウクライナへの侵攻の影響等も相まって「欧州最貧国」という根強いイメージがあるものの、EU加盟に向けた改革の推進やITセクターをはじめとするインフラ投資の強化等により、中長期的な経済成長が期待されている。
そんなモルドバの首都・キシナウで2024年3月14日に開催されたのが「Startup Moldova Summit 2024」だ。日本にいると「モルドバでスタートアップ?いつロシアが攻めてくるかも分からないのに?」と思うかもしれないが、同国では2021年4月にStartup Moldovaと呼ばれる民間主導の非営利団体が設立され、2030年までのスタートアップ&デジタル・イノベーションのエコシステム構築が目指されている。今年で2年目となった今年のStartup Moldova Summitでは、オンライン・オフライン合わせて1万人以上が参加(現地参加は500名以上)。100名以上のスタートアップ起業家や30名以上の投資家等が集結し、各種セッションやピッチタイム、ネットワーキングサミット等を楽しんだ。
実は筆者は2024年6月〜8月にかけて中東欧11カ国を周遊し、モルドバについてもキシナウとプルカリ村に合計一週間ほど滞在した。周辺諸国に比べて相対的に通信環境が弱く、市内バスの乗車券が基本的に紙運用であるのに代表されるように非常にアナログな部分が多いのだが、それ故にDXの伸び代が大きいとも感じた。国民性についても、短い期間での滞在野中で精一杯のおもてなしに触れるシーンが何回もあり、また何よりも、本カンファレンスのような「スタートアップエコシステムをみんなで作り上げていこう!」という気概も感じたことから、非常に楽しみな市場になるのではないかと思った次第だ。
今回は、そんなモルドバ・キシナウで開催されたStartup Moldova Summit 2024の中でも、Startup MoldovaのCEOであるOlga Melniciuc氏によるイントロダクションセッションと、「Opportunities for the development of startups in Moldova(モルドバのスタートアップ市場の発展に向けた機会)」と題されたクロージングセッションの様子をお伝えする。
スタートアップ・コミュニティーが急成長しているモルドバ
「モルドバが農業や教育にイノベーションをもたらした国ナンバーワンになったと想像してみてください。例えば、就農者の仕事や雇用の最適化、環境への悪影響の低減に関する諸問題を解決できたとしましょう。これは、単なる夢物語ではありません。一歩ずつ、着実に近づいている私たちの未来なのです」
このように始めたMelniciuc氏は、ピッチ冒頭で2つのスタートアップを紹介する。一つは、データ駆動の農業プラットフォームを提供するGreeno社。現在30カ国でサービス展開しており、昨年実績で220万ユーロの資金調達に成功しているモルドバ発スタートアップである。そしてもう一社は、VRやARを通じてコーディングを学べるEdTechサービスを展開するBloomcoding社。こちらもつい最近、110万ユーロの資金調達を発表したばかりだ。
モルドバのスタートアップ・コミュニティーが急成長しているからこそ、このようなスタートアップはこれからも続々と登場することが期待できるとMelniciuc氏は説明する。今お伝えしたAgTechやEdTechはもちろん、HealthTechやFinTech、MarTech、PropTechなど、同氏が率いるStartup Moldovaのデータベースには250社以上のスタートアップが登録されており、過去2年の間で見ても25社がエンジェル投資家やVCファンドから1,500万米ドル以上の資金を確保。登録企業の52%は何かしらのアクセラレータープログラムに参加しており、そこでの啓発の成果もあって、起業スタイルも変化してきているという。というのも、数年前までは平均創業者数は約1.5人で“ひとり創業”が多かったが、最近では約2.2人にまで上がってきており、よりチームとしてのスタートアップが増えてきている印象だと、Melniciuc氏は続ける。
「平均資金調達ラウンドは約1.5ということで、まだまだエコシステムとしては非常に若いことを意味しますが、来年にはまた違った数字をお話しできると思います。少なくともアンケート結果によると、回答したスタートアップのうち80%が、今年もしくは今後18ヵ月以内に資金調達をするつもりだと答えています」(Melniciuc氏)
GDPの約6%を占めるまでに急成長するIT産業
これらの変化/成長を牽引しているのが、Moldova Innovation Technology Park(以下、MITP)である。モルドバでのIT産業振興を目的に設立された同組織は、税制の優遇やスムーズな会社設立フローの提供、外国人に嬉しいビザ制度の整備など、IT事業の立ち上げのための土壌を整備している。Melniciuc氏は、そのポイントとして以下10個の特徴を挙げる。
- IT産業に対する7%の単一課税を国家が保証(2035年まで)
- DXが国家の最優先事項
- ITプロフェッショナルの増加(直近7年間で毎年20%の成長)
- 起業に伴う各種コストの安さ
- 言語・文化の多様性(ロシア語、ルーマニア後、英語の3ヵ国語を話す人材が多い)
- ITビザプログラム(経営幹部には4年間、ITスペシャリストとその家族には2年間の労働許可証が付与される)
- コミュニティ・ビルダーやアクセラレータープログラム、ハッカソンなどの多様なスタートアッププログラム
- 投資家の関心の高まり
- 欧州をはじめとするグローバル市場へのアクセスと志向
- モルドバ人のディアスポラコミュニティ(多様なIT専門家)によるサポート
モルドバ政府はDX戦略の出口として「公共サービス100%デジタル化」を掲げており、IT部門は2016年から2022年の間で収益成長率が年間37.1%、IT関連の輸出も年間40%伸長し、GDPの約6%を占めるにまで至っている。その中でMITPは同部門の約80%、国の輸出の5%を占めているというから、その役割の大きさがお分かりいただけるだろう。2024年5月には「IT Investment Guide for Moldova(モルドバを対象としたIT投資ガイド)」も公表し、投資家にとっての戦略的優位性やビジネスチャンス/インセンティブ等を紹介している。
「スタートアップエコシステムを発展させるには、スタートアップだけでなく、そこに投資する投資家への支援も必要です。また、そこにはより多くの才能とスタートアップ・マインドも必要になってくるでしょう。失敗しても構いません。失敗は、成長のための重要なステップなのです。ここモルドバという小さな国が、世界からの注目を浴び始めています。ぜひ、ここにいる皆様、アンバサダーになって盛り上げていきましょう」(Melniciuc氏)
EUも本格的に乗り出す東欧・バルカン地域のイノベーション支援
カンファレンスの終盤では、モルドバ・スタートアップエコシステムの更なる成長に向けたセッションが設置されており、先述のMITPやモルドバ国立銀行、欧州委員会、それから欧州復興開発銀行(EBRD)所属のメンバーが取り組み内容等を紹介していった。
中でも印象的だったのが、欧州委員会のDigital and Economic Developmentにてプログラムマネージャーを務めているThibault Charlet氏による、「EU4Innovation」(以下、EU4I)という取り組みだ。こちらは、特に東欧やバルカン諸国のイノベーションと起業家エコシステムを強化することを目的に立ち上がったもので、インキュベーター向けのコスト及びノウハウ面での支援や、規制の枠組み構築のサポート、他ヨーロッパ諸国との連携の橋渡し、それからスタートアップ向け基金の設立(構想中)などが活動の柱として位置付けられているという。
「アーリーステージのスタートアップに向けては、EU 4 Innovation Eastという新しいプログラム名で、まずは100万ユーロからのファンドでスタートするつもりです。スタートアップが適切な方法でファンドの恩恵を受けられるよう、非常に効率的な運営モデルを構築する必要があるので、そこについてはモルドバの状況も分析しながら計画を練っているところです」(Charlet氏)
Charlet氏は、ミドルステージ以降のスタートアップについてはEFSD+(European Fund for Sustainable Development Plus:持続可能な開発のための欧州基金プラス」のようなSDGsの達成を支援するために設立されたプログラムの存在もあると付け加えた上で、「このEU4IはEEIP(EU Economic Investment Plan:欧州投資計画)の一部という位置付けであり、デジタル経済の分野を含め、東欧・バルカン地域に最大15億ユーロの公共投資、民間投資を動員するという目標を掲げている」と続ける。
「私たちはEBRD(European Bank for Reconstruction and Development:欧州復興開発銀行)や欧州投資銀行の同僚等と協力しながら、革新的な金融手法の導入を進めています。例えばEBRDとは、地方銀行のスタートアップ分野への投資リスクを軽減するために3,500万ユーロの保証協定を結んでいます。今後数週間から数ヵ月の間に、モルドバにこのような金融支援を提供することが私たちの優先事項です」(Charlet氏)
2024年2月19日、モルドバは「Digital Europe Programme(デジタル欧州プログラム)」と呼ばれるEUプログラムに参加しており、2024年度における募集の対象となっている。モルドバからの参加者は、AIをはじめとする高度なデジタル技術分野において、EU全域でデジタル技術を展開するプロジェクトに参加することができる。またこの資金は、モルドバ国内における「デジタル・イノベーション・ハブ」の設立も支援することになっている。スタートアップ支援においてEUと本格的につながり始めたモルドバのスタートアップ・エコシステムは、今後ますます発展していくことが予想されるだろうと、モデレーターのCatalina Plinschi氏(Advisor to the Deputy Prime Minister at MEDD)がセッションを締めくくった。
「このように私たちは、モルドバのEU代表団や欧州委員会、EBRT、エコシステムの開発を支援する多様なパートナーたちと非常に緊密な関係にあります。本日はありがとうございました」(Plinschi氏)
文:長岡武司