2022年12月9日、「EctoLife(エクトライフ)」と題されたYouTube動画が大きな話題になった。年間3万人の赤ちゃんを“人工的”に育てることのできる世界初の人工子宮施設を描いたコンセプトムービーなのだが、生殖医療における人体への安全性の向上や人口問題への対処といったポジティブな意見から、ヒトの生産現場のような光景に対する倫理的懸念や家族という概念への社会的影響、人工環境で育った子どもへの長期的な影響の不確実性といったネガティブな意見まで、様々な意見が現在に至るまで飛び交っている。
このように、「人工子宮(AWs:Artificial Wombs)」の活用に関する話題はここ数年で飛躍的に増えてきており、また2023年10月に沖縄美ら島財団の研究チームが世界で初めて人工子宮を使ったサメ(ヒレタカフジクジラ)の出産に成功したことを発表するなど、技術の実現可能性も着実に高まってきている印象だ。米国ではFDA(米国食品医薬品局)が、ヒトに対する人工子宮の臨床試験の議論を本格的にスタートさせている。
そんな中、2024年6月10日・11日にロンドンで開催されたFemTech Lab主催カンファレンス「Decoding the Future of Women 2024」では、「The artificial womb: how can women govern its future」と題された発表が設置された。
プレゼンターは、「Athena DAO」という女性の健康研究や教育、資金調達の推進を図る分散型自律組織のファウンダー、Laura Minquini氏。いわゆるDeSci(Decentralized Science:分散型科学)型のプロジェクトで生殖医療の発展を推進するということで、非常に興味を持った次第だ。本記事では、Athena DAOの概要や、同プロジェクトによる人工子宮関連の取り組み内容等、プレゼンの内容をご紹介していく。
新たに立ち上げたDeepTech/ReproTechのコホート
女性の健康に関するトランスレーショナル・リサーチ(TR:橋渡し研究)の発掘や資金提供、管理、支援、インキュベーション等を行っているAthena DAOでは、「コホートベースト・アプローチで様々なプロジェクトに資金提供している」と、Minquini氏は説明する。コホートベースということで、女性の健康という大きなテーマを複数の小さなテーマ/WG(ワーキンググループ)へと分けた上で、参加者同士で共同学習する形でプロジェクトを進めているという。
上の投影スライドにあるとおり、これまでのコホートとしては、更年期障害(Menopause)や卵巣老化(Ovarian Aging)、多嚢胞性卵巣症候群(Polycystic Ovary Syndrome)、子宮内膜症(Endometriosis)、子宮筋腫(Uterine Fibroids)、その他様々な婦人科系のがんが挙げられており、2024年のコホート第2弾として、新たにDeepTech/ReproTech領域を立ち上げたとMinquini氏は強調する。
DeepTechとは、特定の自然科学分野での研究を通じて得られた科学的な発見に基づく技術のことであり、またReroTechとは、Reproductive Technologyの略で、Deeptechの中でも生殖医療に特化したテクノロジー(生殖技術)のことを指す。
Athena DAOが作成した冊子「ATHENA DAO’S BEGINNER’S GUIDE TO REPROTECH」では、ReproTech領域の例として以下が挙げられている。
- 体外受精(IVG)
- 人工子宮(AWs)
- 生殖遺伝学
- 子宮移植
- 体外成熟(IVM)
- ミトコンドリア置換法
- タイムラプスイメージング
- 卵巣組織の若返りと移植
- 自宅でのモニタリングおよび採取
- 幹細胞の若返り
- AIによる予測ツール
- 人工精液(Technosemen)
例えばこの中でも、ミトコンドリア置換法などは、母親の核DNAを健康なミトコンドリアを持つドナーの卵子に移植することで、異常なミトコンドリアDNAの伝達を防ぐ技術として注目度が高まってきている印象だ。2015年に世界で初めてイギリスで合法化されたほか、2022年にはオーストラリアでも連邦議会が改正ミトコンドリア寄付法(通称:ミーヴ法)を可決し、合法化されている。
「多くの方がご存知の通り、これまで取り組んできた各コホートでの分野をはじめ、ここに挙げている領域の研究についても、非常に資金が不足しています。バイオテクノロジーへの投資の大部分を占めるがん研究でも、婦人科系がんは資金不足が顕著な領域の一つと言えます。このような背景から、Athena DAOでは女性の健康に関する研究、教育、資金調達を推進する研究者、資金提供者、支援者からなる分散型のコミュニティを、DAOの形で運営しています。本日はこれらの領域の中でも、人工子宮にフォーカスしてお伝えしたいと思います」
期待高まる人工子宮技術と、社会実装に伴う倫理面での議論
先述したFDAによるヒトへの臨床試験の承認可否や、アメリカ大統領選挙などを背景に、2024年は人工子宮への注目度が特に増している状況下なわけだが、その概念は想像するよりも古く、紀元前400年頃のインドにおいて、サンスクリット語の叙事詩の中ですでに登場している。また冒頭にEctoLife動画をご紹介したが、このような人工的な環境で有機物が成長することを指す「Ectogenesis(体外発生)」という言葉は、100年以上前の1923年に、イギリスの生物学者であるJ・B・S・ホールデンによって初めて使われている。
その後、人工子宮に関する最初の特許は1955年に取得され、最初の実験は1996年に実施。2017年には、バイオバッグと呼ばれる人工子宮を使って子羊を育てることにも成功している。ビニール袋のようなものの中で子羊が眠っている報道写真を覚えている方も、少なくないのではないだろうか。
「イスラエル・ワイツマン科学研究所のジェイコブ・ハンナ研究室では、世界で初めてマウスの胚を人工子宮で育てることに成功しており、また2021年には、精子や卵子を使わずにヒトの胚モデルを形成させることにも成功しています。もちろん、マウスのモデルから人間へと応用するには大きな飛躍が必要ですが、この技術は必ずや実現することになるでしょう」
人工子宮への期待として、Minquini氏は大きく3つの要素を挙げる。一つは、妊娠28週未満で生まれる極度の未熟児への対応。一般的に、体重が1,000gを超える28週に満たない出産の場合は生存率が低くなるだけでなく、精神発達遅延や脳性麻痺、未熟児網膜症など、長期的な健康上のリスクと向き合うことになる可能性が高まる。人工子宮は、このような過度な早産児の生存率を向上させ、合併症を減少させる可能性を持つ技術として注目されているわけだ。またこれに付随し、人工子宮という選択肢が増えることで、生殖の自律性と公平性の向上にも寄与するという。さらに、ヒトが中長期的に「多惑星種」になって宇宙での暮らしを本格的に考えることになった際も、人工子宮は重要な生殖手段の一つになるだろうと、Minquini氏は付け加える。
※宇宙での生殖技術については以下の記事もご参照ください。
一方、当然ながら倫理的課題に対しても十分な検討が必要となる。以下のスライドに挙げられた項目は、人工子宮の導入に伴う倫理的課題の一部だ。
「例えば、長期的な発達への影響や、人間性の定義、宗教的な観点、心理的な影響など、考えなければならないことがたくさんあります。人工子宮という技術は、私たちにより多くの自律性を与えるのか、それとも奪うのか?これらは非常に重要な問いかけです。私たちAthena DAOに参加することのメリットの一つとしては、こういった議論に参加できることだと捉えています」
なぜ「DAO(分散型自律組織)」での運用なのか
2022年3月、中国共産党中央弁公室と国務院弁公室が「科学技術倫理的ガバナンスの強化に関する意見」を発表し、科学技術の倫理的ガバナンスの強化に関する国家レベルの体系的な取り決めを行った。このような“超トップダウン型のアプローチ”に対して、ステークホルダー全員が議論に参加し、意思決定に参加できることがDAO(分散型自律組織)の大きなメリットだと、Minquini氏はコメントする。
「一つ質問です。特許で守られた閉鎖的な技術と、コミュニティで管理される技術、どちらを望みますか?例えばIVFはあまり多くの特許に縛られていませんが、次世代のIVGは全て特許で守られています。Nature Biotechnologyの論文を読んでみてください。次世代の生殖技術が、どれだけ特許に縛られているかがわかります。もし私たちが、コミュニティとしてこれらの知的財産を所有し、どのように活用されるかを管理できるとしたらどうでしょう?私たちのDAOでは、人工子宮をはじめ、様々な技術のガバナンスを変える機会があるのです」
DAOにも様々な運用形態が存在するわけだが、Minquini氏がコアリードを務めるAthena DAOでは「ATH」と呼ばれるガバナンストークンを通じて、各プロジェクトでの意思決定等に参加できるようになっている。詳細はホワイトペーパーをご覧いただきたいのだが、Discordに組まれたコミュニティを通じて研究の優先順位付けや資金調達のメカニズム、戦略的方向性など各テーマ/トピックに沿った提案出しが行われ、その内容が精査・改善された後に正式な提案として昇華され、それらに対するコンセンサスとしてATHを通じた投票が行われることになる。つまり、ガバナンストークンホルダーであれば、気になった提案についての各種意思決定に参加できるようになる。
もちろん、提案には大小様々なものがあるわけで、前述したような重要な提案もあれば、日々のタスクや作業を進める上での日常的な意思決定などもある。これら一つひとつについて全て投票で決めていくとなると膨大な工数になってしまうので、Athena DAOでは「Soft Governance Mechanism」と称して、非公式な合意形成による決定の仕組みも組み込んでいる。
「昨今のAI規制の動向を見ても、非常に後手であることがお分かりいただけると思います。AIの本格的な到来なんて、何十年も前からわかっていたのに、です。人工子宮における技術的なブレイクスルーが果たされ、倫理的議論も成熟した後にガイドライン策定を進めるにあたって、今のうちから計画的に進めることができたらどうでしょう?そして、そのコアとなる部分の議論に参加できるとしたらどうでしょう?今年はこの技術にとって非常に重要な年です。ぜひ、自分たちの意見を中長期的な制度へと反映できる機会と捉えていただければと思います」
2024年10月はサンフランシスコでPop-Upイベント開催
なお、Athena DAOでは2024年10月4日から29日まで、「AthenaDAOLabs Pop-Up」と呼ばれるイベントを米サンフランシスコ中心街にある某店舗にて開催している。朝食会やカクテルパーティーを通じて、女性の健康にまつわる様々なテーマの専門家や研究者との交流ができるようになっているとのこと。興味のある方は、ぜひ参加しにいってみてはいかがだろうか。どんなサブイベントがあるかの詳細については、こちらのレジスター集約ページがわかりやすいだろう。
取材/文/撮影:長岡武司