OpenAIやGoogle、Meta、Apple、Microsoftなど、昨今のAI動向の中心はアメリカ西海岸発のビッグテック各社にあると言っても過言ではない中、一際ユニークなポジション・哲学で事業を展開しているのが、東京拠点の国内最速ユニコーン企業・Sakana AIだ。2023年7月に設立されたばかりの会社なのだが、その評価額は2024年9月時点で15億ドル(約2,100億円)に達しており、NVIDIAが出資したことでも話題になった。
何がユニークかというと、同社では「集合知」と「進化アルゴリズム」という自然界の法則に基づくアプローチでAI開発を進めている点だろう。冒頭に記した各AI企業が「LLM(大規模言語モデル)を軸とするコンピュート(計算)パワーの増大」に軸を据えて研究開発を進めているのに対し、Sakana AIでは分散型のモデル構築の仕組みを志向しているのだ。2024年8月には「AIサイエンティスト」と呼ばれる、アイデアの創出や実験の実行、論文の執筆、ピアレビューまで科学研究のサイクルを自動的に遂行するAIも発表し、AGI(汎用人工知能)やASI(超知能)を待たずしてシンギュラリティは起こり得るということで、国内外で大いに話題になっている。
そんなSakana AIのCEOであるDavid Ha[デイビッド・ハ]氏が、2024年10月8日、日経新聞社主催の生成AI特化型カンファレンス「GenAI/SUM」のパネルセッションに登壇した。タイトルは「Think Global, Act Local: 日本から進化するAI」で、対談のお相手は、アップルでAI開発チームに所属し日本での起業経験もあるSimeon Bochev[シミョン・ボチェッフ]氏だ。MPower PartnersのAIアドバイザーでもある同氏は、次のステップとして日本市場を核とした新たなAIインフラを作るべく、現在ステルスでThe Compute Exchange社を設立中とのことだ。
日本というローカルな視点とグローバルな視点の両方から、最先端のAIモデルの開発や、それを支えるインフラストラクチャについての非常に貴重な見解が共有されたので、本記事ではほぼ全文の書き起こし翻訳でその内容をお伝えする。
- David Ha[デイビッド・ハ](Sakana AI 創業者 兼 CEO)
- Simeon Bochev[シミョン・ボチェッフ](The Compute Exchange 共同創業者 兼 CEO/ MPower Partners 人工知能(AI)アドバイザー)
- 齋藤 ラッセル(日本経済新聞社 生成AIサミット事務局 プロデューサー)※モデレーター
岸田政権の「ユニコーンを100社誕生させる」構想がきっかけで創業
--まずはDavidさん、あなたのAIにおけるこれまでの歩みや、Sakana AIを立ち上げるに至ったきっかけについて教えていただけますか?
David Ha:お招きいただきありがとうございます。まずは私自身について少しお話しします。10年以上前、ゴールドマン・サックスでデリバティブトレーダーとして働いており、日本法人で金融の現場にいました。私のAIとの出会いはその頃です。トロント大学時代にニューラルネットワークを学んでいたので、その時の熱が再燃しました。そんな中、2016年にGoogleに引き抜かれて、Google Brain Teamに参加するためにカリフォルニアに渡りました。そこでJeff Dean氏らと一緒にTensorFlowの開発に携わったわけですが、ちょうどその頃から、生成AI研究が盛り上がってきたと記憶しています。私はビデオ生成やロールモデル、画像生成、シーケンス生成などに取り組みました。Google Brainでの時間は本当に素晴らしかったです。
その後2018年頃に、Google Japanが渋谷に大きなタワーを建設する計画を立てていたこともあり、再び日本に移住することができました。Googleの中国事業がうまくいっていなかったことも一因かもしれません。日本チームのリーダーを務め、計6〜7年ほどGoogleに在籍した後、いよいよ日本でAI会社を立ち上げる時が来たと感じて、現在のSakana AIを創業しました。簡単ですが以上です。
--ありがとうございます。Simeonさんのご経歴についても教えてください。
Simeon Bochev:Davidさんと同様、私のキャリアもAI業界にあります。高校生の頃、アメリカ政府向け “System of Systems分析” のプロジェクトに参加したことから始まりました。COVID-19が流行した頃、日本で成田 悠輔氏と共に「Jinch」という会社を立ち上げて一緒にビジネスに取り組みました。「人工知能(Jinko Chino)」が由来の社名です。ビジネスとしてはかなり成功しましたが、COVID-19の影響で国境閉鎖等のイレギュラーな事態も相まって、私は再びアメリカに戻ることになりました。そこでAppleに入社し、AIとインフラストラクチャ戦略をリードすることになりました。Appleは世界最大級のAIインフラ購入者だったわけですが、それを見て「市場の非効率性」を痛感し、その問題を解決すべく、最大のコンピュートプロバイダーの一つであるLambda Labsに参画しました。その経験は私にとって非常に刺激的で、業界全体に構造的な課題があることを実感しました。中立的な第三者が必要だと感じ、現在はその解決策として、信頼と持続可能性に基づいたコンピュート取引のための金融取引所を立ち上げています。現時点ではまだステルスで取り組んでいますが、今後、さらなる展開についてお話しできることを楽しみにしています。
--Sakana AIは短期間でユニコーン企業となりましたが、日本のAIエコシステムのどの要素が成功の鍵となったのでしょうか?
David Ha:Sakana AIがユニコーン企業として評価され、非常に光栄に感じていると共に、謙虚に受け止めています。私たちの会社には多くのサポーターがいます。共同創業者のLlion Jonesと伊藤 錬と一緒に1年以上前に会社を始めたとき、「なぜ日本で、なぜ今なのか」という仮説がありました。
2022年の終わり頃に岸田政権が「日本で100のテック・ユニコーンを創出する」と発表しましたが、当時、多くの人がそれを笑っていました。しかし、私はその報告書を読んで「こりゃいけそうだ、やってみるべきだ」と思いました。そんな流れから、会社を立ち上げたわけです。強いAI企業を日本で立ち上げるにあたって、しっかりとした政府のサポートがあるわけです。私たちは日本で強力なブランドを築き、国内外からトップレベルの人材を集めることに成功しています。また、世界レベルのAI研究も行えています。シリコンバレーの投資家に提案した際には、この政府の支援、強力なブランド、優秀な人材の確保、そして優れた研究成果という4つのポイントを事業仮説として説明していました。昨年、Khosla VenturesやLux Capitalのような投資家から最初の資金を確保して以来ずっと、これらの仮説を基に事業を進めていき、いずれも実現させることができました。
まず政府の支援について、私たちはNEDOによるGENIACプロジェクトを通じてコンピュートリソースへのアクセスを得ることができました。数ヶ月間にわたり、何百ものGPUを無償で利用することができたのです。また皆さんのおかげで素晴らしいブランドを築き、多くの優秀な人材を日本国内外から引き寄せることができました。意外に思われるかもしれませんが、日本で働きたいと思っている人はたくさんいます。良い仕事を提供すれば、彼らは日本に来てくれます。さらに、素晴らしい研究成果も生み出せました。過去12カ月で、例えば「進化的モデルマージ」(※)や「AIサイエンティスト」などの研究成果を発表しました。これらの内容は、日本だけでなく世界中で話題になっています。
この4つのチェックボックスがすべてクリアされたことで、次の段階に進むための追加資金を調達することができました。
※進化的モデルマージとは、進化的アルゴリズム(Evolutionary Algorithm)を使い、「世の中にある様々なオープンソース型LLMをマージして新たな基盤モデルを構築する」ための方法を発見するという、Sakana AI独自の手法を指す。進化的アルゴリズムとは、生物の進化のプロセスを模倣した最適化手法のことで、自然選択や突然変異、交叉(リプロダクション)といった進化の原理をコンピュータで再現し、最適な解を見つけるためのアルゴリズム。2024年3月19日に公開されたプレプリント「Evolutionary Optimization of Model Merging Recipes (モデルマージの進化的最適化)」にて詳述されている(日本語版はこちらの公式ブログ)。進化的モデルマージを用いることで、「日本語と数学」や「ブルガリア語と画像」といった、これまでは困難と思われていた全く異なる領域のモデルをマージする方法すらも自動的に発見できるという。
--Simeonさん、The Compute ExchangeはグローバルなAIインフラ企業ですが、日本はどのように戦略に組み込まれているのでしょうか?日本市場における機会や課題についてお聞かせください。
Simeon Bochev:私にとって答えはシンプルです。AIはグローバルな技術であり、シリコンバレーやアメリカのテック企業だけが牽引すべきものではありません。AIは、私たちそれぞれの文化や地理的背景を反映したグローバルな技術であるべきであり、日本もその中で重要な役割を果たしていると考えています。私の方からは、産業的な観点でお答えしたいと思います。
まず課題として最も大きいのは、アメリカのエコシステムと比較して、日本のAI市場はまだ発展途上にあるという点です。投資額やエコシステムの成熟度が、まだまだアメリカほどではありません。しかし、Sakana AIのような企業や、Sakana AIにコンピュートを提供する政府プログラムなど、明るい兆しも見えています。日本がより競争力のある地位に進化しようとしていることは明確です。
一方で機会としては、日本の実行力、やり遂げる力に期待しています。例えば台湾を拠点とするTSMC(Taiwan Semiconductor Manufacturing Company)は、現在多くのAI企業がモデルの訓練や推論に使用する最高級のプロセッサチップ、特にNVIDIAのチップを製造しています。同社は日本とアリゾナに工場を拡張する計画を発表しており、これが非常に興味深いです。日本は数十年前に産業政策で有名になりましたが、TSMCが日本に工場を建設すると発表してからわずか2年未満で、40面のアメリカンフットボール場ほどの広さの土地に86億ドルの半導体工場が完成させ、予定通り稼働しようとしています。その後ろには日本政府が補助金を提供しており、国の地位を向上させる手助けをしています。じゃあアリゾナはどうかと見てみると、状況は全く異なります。バイデン政権はTSMCに対して資金提供を約束しておらず、工場の稼働予定は来年から2027年以降に延期されました。私にとって、これはアジアの「スピード感」の文化を示していると思います。シリコンバレーからこんなことを言うのは皮肉かもしれませんが、日本が本気で何かに取り組むとき、そのスピードは世界一になるという素晴らしい例だと思います。
まず技術を活用し、その上で何を規制すべきかを見極めることが重要
--Sakana AIは最先端のAI研究開発を行っていますが、日本の規制環境はどのように研究開発へと影響を与えていますか?また、今後のAIイノベーションをサポートするために、規制はどのように進化していくと思われますか?
David Ha:最近では、AI規制について日本だけでなく世界中で多くの議論がされています。特にEUでの議論が注目されていますが、私たちが日本で会社を設立した理由の一つは、単純に日本で会社を始めたいと思ったからであり、特定のAI規制が理由ではありません。むしろ、先ほどお伝えしたNEDOのGENIACを通じたコンピュートリソースの提供のような政府の支援が、私たちが日本で事業を始める要因の一つになっています。
規制に関してお伝えすると、日本は特に最前線にいるわけでも、遅れているわけでもないと感じています。ニュースを見ていると、最近の規制の話題は主にカリフォルニアで積極的に議論されている印象です。日本はEUの政策というよりは、アメリカの政策に従っている可能性が高いと思います。いずれにせよ私の意見としては、AIによるイノベーションを促進するためには、グローバルレベルで協力し最良の政策を見つける必要があると思います。同時に、イノベーションを阻害しないようにすることも重要です。しかし、AIは社会に大きな影響を与えるでしょう。自動化によって仕事が変わるため、人々がAI技術に適応できるような道筋を作る必要があります。
議論すべき問題は多くありますが、私がこの1年で感じたこととして、Sakana AIは実際のところ、AI規制の対象ど真ん中ではないということです。主に技術開発に集中していて、巨大な言語モデルを訓練することに重点を置いているわけではありません。そういったモデルは膨大なデータを必要としますが、そもそも日本にはOpenAIやAnthropicのように大規模なモデルを訓練している企業は多くないので、今のところはデータに関する規制や何を訓練できるかといった問題にまで深く踏み込むような規制に取り組む必要は、あまりないと感じています。
規制について話す前に、日本はまず技術を活用し、その上で何を規制すべきかを見極めることが重要だと思います。現時点では、ニュースでAIについて読む以外に、ほとんどの人がAI技術を実際に使用していないように感じています。まずはもっと多くの人に技術を使ってもらい、問題があるかどうかを確認し、その上でどの分野を規制すべきかを考えるべきではないでしょうか。
--Simeonさんは、政府やフォーチュン100企業にAI政策等に関するアドバイスをされていると伺っています。この規制は新しいビジネスにどのような影響を与えていますか? また、規制環境はどのように変わりつつあるのでしょうか?
Simeon Bochev:アメリカが何を言っているのか、ヨーロッパが何をしているのか、そして日本がどの方向に向かっているのかについて、要点をまとめてお伝えしたいと思います。
最初のポイントは、AIが各国で異なる意味を持っているということです。ですからグローバル企業は、Highest Common Denominator アプローチ(複数の異なる意見や要求を持つグループの間で、全員が満足する最大限の共通基準を見つけ出すアプローチ)を採用することを余儀なくされるかもしれません。これは、世界中でパッチワークのようにバラバラな規制に適応する必要があるためです。
二つ目のポイントは、AIに関する規制がさまざまな形で登場していることです。統一された形がなく、法令、行政命令、既存の規制の拡張、あるいは裁判所での判決によってもたらされることもあります。
三つ目のポイントは、新しいAI規制には異なる概念的アプローチがあるということです。一部は法的拘束力があり、罰則も含まれますが、他のものはそうではありません。特定の業界に特化したものもあれば、すべての業界に適用されるものもあります。
そして最後に、柔軟性は両刃の剣であるという点です。AI規制を策定する際には、技術の進展に適応できるよう柔軟である必要があります。Davidさんの指摘にもありましたが、技術を使う人、特に政策立案者が増えることが重要です。いくつかの地域では、高度な言葉遣いや政策の解釈に柔軟性を持たせることで、将来的な技術進化に対応しようとしていますが、これが将来どのように解釈されるか不確定なままにしているというデメリットもあります。
具体的に説明すると、EUのAI規制法では “リスクベースアプローチ” が取られており、許容できないリスク、ハイリスク、限定的リスクの大きく3つのカテゴリに分類されています。「許容できないリスク」には、基本的人権に対する脅威や、人間の行動を操作したり脆弱性を悪用するシステムが含まれます。例えば、ディープフェイクや感情認識システム、リアルタイムのバイオメトリクスなどが該当します。EUには「The US Innovates, The EU Regulates(アメリカが革新し、EUが規制する)」というジョークがありますが、確かにEUは規制のイノベーションで最も進んでいます。
一方で、アメリカについては、国家レベルの規制がまだまだ未整備状態です。大手AI企業による自主的な取り組みが中心で、NIST(国立標準技術研究所)の「AIリスクマネジメントフレームワーク(AI RMF)」や、ホワイトハウスによる「AI権利章典(AI Bill of Rights)」こそあるものの、議会が制定した法律はありません。大統領選挙の影響もあり、少なくとも2025年まで新たな法律が制定されることはないでしょう。
ただ、ここで「SB1047(通称:カリフォルニアAI法案)」について触れておきます。この法案はギャビン・ニューサム知事によって最後の段階で拒否されましたが、カリフォルニアでは最も包括的な枠組みを提供し、コンピュート資源を “公共の財産” とする「CalCompute」(※)というプログラムを含んでいました。
※CalComputeは、以下の特徴を持つ「公共クラウドコンピューティングクラスター」として提案されており、2026年1月1日までにGovernment Operations Agencyによって議会に報告書として提出されることが法案で定められている。
・カリフォルニア大学システム内に設立される予定
・スタートアップ、研究者、コミュニティグループなど、大規模なコンピュート資源を持たない組織をサポートすることを目的としている
・安全で倫理的、公平かつ持続可能なAIの開発と展開を促進することを目指している
・AI研究とイノベーションを支援し、コンピュート資源へのアクセスを拡大することを目的としてする
・資金調達のオプションには民間からの寄付が含まれている
Simeon Bochev:最後は日本についてですが、今のところ特定のAI規制は存在していません。政府はイノベーションを優先しつつ、リスクを最小限に抑える間接的なアプローチを取っています。今年5月にAI戦略会議にて将来的な規制の範囲についての議論が行われましたし、4月に発行された新しいAIガイドラインがあります。これは企業が任意で従う原則を導入しており、安全性、公平性、プライバシー保護、透明性などが含まれています。ヨーロッパはリスク軽減に重きを置き、アメリカはイノベーションを優先していますが、日本は「デジタルプラットフォーム取引透明化法」を通じてイノベーションを促進しつつリスクを軽減するという感じで、その中間に位置する可能性があるでしょう。
賢いコンピューティングリソースの使い方こそが持続性につながる
--続いて、持続可能なAIビジネスの構築についてお伺いします。Sakana AIのミッションにおいて持続可能性は重要な要素ですが、どのように持続可能性を考慮しながらAI研究を進めていますか?また、モデル等の研究を拡大する上で、どのような課題に直面していますか?
David Ha:持続可能性は私たちの会社だけでなく、すべての企業にとって重要なテーマです。現在、LLMをトレーニングするために必要なリソースは非常に膨大ですからね。例えば、マイクロソフトが次のLLMを訓練するために原子炉を購入し、稼働させようとしているという話も聞いたことがあります。しかし、私たちの会社では異なるアプローチを模索しています。というのも、私たちは単にモデルを構築することを目的にはしていません。同様に、日本の会社がOpenAIや他の企業と同じように、ゼロから日本語専用のLLMを訓練しようとするのは無駄で、正直言ってあまり興味深くないと思っています。
エネルギー使用を最小限に抑えるために行った例として、まずは「車輪の再発明をしない」ということが挙げられます。私たちの「進化的モデルマージ」という研究では、オープンソースコミュニティの既存の事前訓練モデルを利用し、それらの一部を組み合わせて新しい基盤モデルを作成しました。また「AIサイエンティスト」の研究でも、既存の基盤モデルを使用しつつ、OpenAIのモデルやAnthropicのモデル、FacebookのLlamaモデル、自社のモデル、そして世界中のモデルを組み合わせて活用しました。このようにコラボレーティブな手法を取ることで、膨大なエネルギーを消費するという再発明を回避するようにしています。
また、現在の基盤モデルの構築方法についても再考するべきだと思います。今は、1つの巨大で中央集権的な知能を作ろうとしていますが、人間の知能は集団的に機能しているように、10億もの小さな知能が協力して働いているようなものです。これこそが “拡張可能なモデル” だと思っています。実際、すでにこのモデルに基づいた技術が登場し始めており、私たちの開発やAIサイエンティストのプラットフォームでは、基盤モデル同士が対話し合うことで成果を生んでいます。このように、既存の技術やオープンソースエコシステムを活用することで、日本でもエネルギー消費を最小限に抑えられると考えています。例えば、MetaがリリースしているLlamaのようなオープンソースモデルは、最先端技術からわずか6カ月遅れている程度です。これを考えると、オープンソースのエコシステムは最先端技術から6カ月から1年遅れで追いついてくる可能性が高いです。一方で、日本が独自の大規模な日本語モデルを訓練しようとする場合、既に大量のVC資金やテック資金が注ぎ込まれたモデルを活用した方が、何十億ドルもかけて自前で作るよりも賢明かもしれません。
この辺りは1日中話しても足りないと思いますが、要点としては、「他人がやっていることにただ追随するのではなく、コンピューティングリソースの使い方を賢くさせよう」ということです。すでに存在するものに何十億ドルも費やして二番手になるだけでは意味がない、というのが私の見解です。
--インフラは持続可能なAI成長を支えるために非常に重要かと思います。Compute Exchangeは、AIアプリケーションをグローバルにスケールする課題に対して、どのように取り組んでいますか?また、環境責任を確保し、これを可能にするためにどのようなイノベーションが必要だとお考えですか?
Simeon Bochev:この質問は私たちのビジネスの核心に触れているので大好きです。具体的にお答えする前に、少しゾッとするようなデータポイントをいくつか提供したいと思います。Davidさんも言及しましたが、2030年までに、アメリカのエネルギーグリッド全体の10%以上がAIデータセンターを稼働させるために使用されると予測されています。つまり、全米のエネルギーの1/10がAIデータセンターに使われることになるということです。これは現在の容量とエネルギー供給ではまかなえない量であり、石炭火力発電所を再稼働させたり、液化天然ガスを使用しなければならない状況に直面しています。Davidさんも仰っていたように、原子力も復活の兆しを見せていますが、それが良いか悪いかは意見が分かれるところです。Googleも、2週間前にAIの電力需要が原因で2030年の気候目標を達成できないかもしれないと発表しました。
また、問題は電力だけではなく、水にも関係してきます。NVIDIAがリリースする最新のGPU、B200やGB200は、従来の空冷ではなく “水冷” を必要としています。しかも、かなりの量の水が必要になります。多くのデータセンターは、再生可能な水の供給源が不足している地域、例えばアリゾナなどに建設されているので、これも大きな問題と言えます。
そう考えると、Davidさんが指摘されたように、アメリカで行われている方法を単にコピー&ペーストするのは、少なくとも “成功のレシピ” ではないと思います。もっと賢くやるべきです。Compute Exchangeでは、取引されたコンピュートに対して、そのコンピュート作業に伴う炭素排出量を可視化しています。また、カーボンオフセットのネットワークも提供しており、これが重要だと考える人には計算作業の炭素排出を相殺し、カーボンニュートラルな体験を提供できるようにしています。
もう一つ付け加えると、モデルのサイズは昨今ますます大きくなってきており、そのための電力消費も比例して増加しています。驚くべきことに、これほど高価なものでありながら、例えばMetaは今年、モデルのAIインフラに20億ドル以上を費やす予定です。また、AWS、GCP、Azureの3大クラウドプロバイダーは、今後5年間でAIインフラにそれぞれ1,000億ドル以上を投入するとしています。しかし、これらのインフラの平均利用率は50%未満です。膨大な電力と水を消費し、世界規模で何十億、何百億ドルも支払っているにもかかわらず、これらのリソースの効率的な利用率は最高でも50%に過ぎないのです。もっと良い方法があるはずです。
AI開発は、日本の「文化的なコンテキスト」を提供する良い機会
--次に地政学的な観点に移ります。Sakana AIは国際的なパートナーと協力していますが、地政学的な要因が戦略にどのように影響していますか?また、国際的な環境の中で、どのような課題に直面していますか?
David Ha:会社を始めた時、世界の地政学的な進展も私たちが日本で会社を立ち上げた理由の一つです。私は、私たちが今「脱グローバル化」の時代に入っていると思います。2020年はグローバル化の年だったかもしれませんが、今は脱グローバル化の時代に入っています。中国と台湾の緊張、ロシアとウクライナ、そして中国とアメリカの対立など、地域的な緊張が各地で見られます。
その中で、日本はアジアにおける民主主義の最前線にいると思います。日本と韓国、そして台湾は、この地域で民主主義を維持するリーダー的存在です。これらの国々、特に日本が自国の技術エコシステム、AIだけでなく全体の技術エコシステムを育てなければ、他国に遅れを取ることになります。そうなれば、技術の主導権は北京や深圳、あるいはシリコンバレーの企業に握られてしまうでしょう。ですから、日本は自国の技術エコシステムを築き上げる必要があると感じています。これが、岸田政権が2022年に発表した「ユニコーンを100社誕生させる」構想の理由の一つだと思います。地政学的に見ても、日本が国内のエコシステムを強化するだけでなく、他の民主主義社会とも協力していくことが重要でしょう。
AIに関して素晴らしい点の一つは、非常にグローバルな分野であるということです。私たちの研究者の多くは、世界中の機関と協力しています。オックスフォード大学やスタンフォード大学、MITなどの研究者ともコラボレーションしています。そんな中、日本にとっては、こうした国際的なモデルに「文化的なコンテキスト」を提供する良い機会だと思います。
先日、スタジオジブリの『もののけ姫』をAIで作った動画が話題になっていましたが、正直言ってあまり良い出来ではありませんでした。その理由の一つは、その技術が主にハリウッド風の動画を元にしていたからです。この件について私はXで意見を述べましたが、作者は「ほとんどの人がAIに反対している」と言って、最終的にその投稿を削除しました。私はAIに反対しているのではなく、質の低いものに反対しているだけなんですけどね。日本は、アメリカや中国、ヨーロッパと同様に、文化的に重要な国の一つです。最先端のAI技術が日本の文化的価値に基づいていないのは残念なことです。ですから、日本でのAI開発は非常に意義があり、世界全体に利益をもたらすと思います。
--Simeonさんは日本とアメリカの両方でビジネスを立ち上げました。現在の米中間の地政学的な緊張は、特にAI開発にどのような影響を与えていると思いますか?また、日本が果たすべき戦略的な役割についてもどうお考えですか?
Simeon Bochev:米中関係が短期的に改善することはないと思います。次の大統領選の勝者に関わらず、両候補や両党ともに中国に対して強硬な立場を取っているので、状況が変わることはないでしょう。そのため、日本は非常に独自の役割を果たせると思います。アメリカと日本の関係は長い歴史があり、両国の同盟も強固です。さらに、香港が中国の行動によって金融センターとしての地位を失いつつある中で、日本や韓国、台湾のような民主主義国家がアジア地域と西側諸国の橋渡し役としての役割を果たすチャンスがあると思います。具体的には、皆さんもご存知かもしれませんが、アメリカは中国やイラン、ロシアなど特定の国へのAI技術の輸出を制限するための規制を強化しています。ハードウェアやソフトウェアの輸出が規制されており、この状況が改善するとは思えません。
私のビジネスに関して言えば、私たちはグローバルな取引所を運営しており、アメリカ企業としてすべての規制に従っています。日本には、このような状況の中で橋渡し役としてのチャンスがあります。個人的には、戦争が終わり、最終的にお互いを同じ人間として見られる時が来ることを願っています。また、過激な言葉が少し和らぐことを期待しています。
さらに付け加えると、AIは2つの国だけで開発されるべきではありません。Davidさんも仰ったように、AIはグローバルな技術です。日本は人間的な観点からも、自国でAI技術を開発する必要があります。ただし、これまで議論してきたように、単に他国のやり方をコピーするのではなく、賢明に進めるべきです。そして、AIのような重要な技術に関して、アメリカや中国、その他の第三国に依存すべきではないと思います。
失敗を “汚名” として扱わないようにする文化づくりが大事
--AIに関する日本の強みと弱みについて、もう少し深掘りしたいと思います。Sakana AIは日本で成長してきましたが、日本の独自の強みを活用していますね。日本でビジネスを展開する上で直面した課題や、日本のAIエコシステムが改善を必要としている点について教えてください。
David Ha:良い質問ですね。多くの人が、日本で優秀な人材を採用するのは難しいと思っていますし、たしかにそういう面もあるとは思います。ただ、世界全体を見ても、最も優秀な人材の多くはアメリカやカナダなどの学校から輩出されています。日本にも素晴らしい学校がありますが、単純な人口比で見ると、北米には優秀な卒業生が多くいます。ですので、私たちの会社にとっても、日本で最高の人材を採用することは、単なる数字のゲームに過ぎない部分があります。優秀な人材の採用は、日本に限らず、どの国でも課題です。私たちは、できるだけ多くの優秀な人材を日本に呼び込もうと努力しています。
人材の誘致における強みと弱みに関してですが、まず、日本は世界の文化的な中心地の一つであり、多くの人々が観光や仕事のために日本に行きたいと思っています。この点を活かして、人材を日本に引き寄せるために、Sakana AIではインターンや短期間の勤務などを提供しています。ただし構造的な問題として、日本は国際的な人材を引き寄せるのが難しいとも言えます。例えば、シリコンバレーではスタートアップに入社し、すぐに貢献できるという良い雰囲気がありますが、日本では大企業に入社し、まずは「新入社員」として組織に溶け込むことが求められます。このような硬直した構造が、貢献する機会を制限している面も実態としてあると思います。もちろん、変化も見られます。東京大学の優秀な学生と話すと、スタートアップで働くことや自分で会社を立ち上げることに非常にオープンになってきています。10年前は、東京大学の学生は経済学や法学を学び、政府や大手商社に入社することが一般的でしたが、今は少しずつ違う風潮が出てきていると感じています。また、日本のスタートアップ業界では、優秀な創業者がアメリカに移住しようとする話もよく耳にします。日本にも優れた市場があるので、創業者たちが日本にとどまるようなインセンティブを見つけることも課題の一つです。
もう一つの課題は、データセンターの容量やコンピュートリソースの問題です。Simeoさんのビジネスがこの課題に対応するのでしょうが、NVIDIAのような戦略的な投資家も日本のデータセンターマーケットに注目しており、持続可能なデータセンターの開発が日本でも進んでいくと思います。ただ、日本は島国であり、特に2011年の大震災以降、沿岸部の原子力発電所が停止されたこともあって、エネルギーの観点からは難しい面もあります。
最後に、AIやLLMに関連した課題として「言語の問題」があります。どれだけ日本語の言語モデルを訓練しても、世界中で使用されているトレーニングデータの大半は英語に基づいています。LLMを使う際、最も優れたプロンプトエンジニアはおそらく英語でモデルに指示を出すでしょう。最も優れたモデルも、ほとんどが英語のデータで訓練されています。日本は非常に日本語中心の社会ですが、長期的には、AIモデルとのやり取りに必要なスキルは英語に基づくものが多くなると思います。もちろん、日本語でプロンプトを作成することはできますが、英語で作成した場合と比べて、質の定価は免れないでしょう。これは避けて通れない事実であり、どう対処するかが今後の課題だと思います。
--Simeonさんは日本でのビジネス立ち上げ経験があり、また複数の国で働き、生活してきたご経験もあります。その視点からご覧になって、日本の主な強みと弱みは何でしょうか?また、優秀な人材の採用や定着の問題についても触れていただければと思います。
Simeon Bochev:まず、人材に関してはDavidさんがよく説明してくれましたので、彼のコメントに同意します。
私が時間を割いて話したいのは、日本が持つ独自の機会と、それに対する具体的な改善提案です。私が日本でビジネスを始めた時、東洋と西洋の「良いところを橋渡しする」ことを意図していました。これは少し物議を醸すかもしれませんが、聞いてください。アメリカを見ると、非常に個人主義的な国と見なされていることが多いです。これは良い面も悪い面もあります。対照的に、日本はより集団主義的な視点で見られています。この両極端は、どちらも最適とは言えませんが、両者の良い部分を組み合わせることが理想的だと考えています。Davidさんも、どこから来るかに関係なく、最高の人材を集め、東洋と西洋の強みを活かそうとしている点で同じ意識を持っているように感じます。
ここで文化的なポイントに触れたいのですが、私が初めて日本に来てから10年の間に、ポジティブな変化を感じています。私は決して日本がアメリカを模倣すべきだとは思いませんが、日本が文化的に変えるべきだと思う点は、合理的なリスクを取ることを奨励し、失敗を “汚名” として扱わないようにすることだと思います。ベイエリアでは、最初のスタートアップで失敗しても、それがキャリアに一生残る汚点にはなりません。むしろ、学んだ教訓を活かして次に挑戦することが重要とされています。しかし、日本はそうではありません。文化的にその理由は理解できますが、もし日本がさらにイノベーションや起業家精神を促進したいのであれば、合理的なリスクを取ることを称賛し、失敗をネガティブに捉えない文化を育てる必要があります。
さらに、2つのことを挙げるなら、「適度な規制」と「資金へのアクセス」です。規制については既に多く話したので深くは掘り下げませんが、日本はここでより良い競争力を発揮できると思います。例えば、アメリカ政府や他の団体がスタートアップに資金提供するのは非常に難しく、最小限の支援しかありませんが、日本にはこれを改善するチャンスがあります。したがって、私の考えでは、優秀な人材、文化、適度な規制、資金へのアクセスが揃えば、これらは今後長い間にわたって成功するための良いレシピとなるでしょう。
--ありがとうございます。それでは最後に、ご来場の皆さんに向けてメッセージをお願いします。
David Ha:私は日本でSakana AIを立ち上げることに非常に興奮しています。私自身、日本の文化とともに育ちました。90年代や2000年代のソニーや任天堂のような素晴らしい企業が、世界中で使われる技術を生み出してきました。私もいつか、日本企業が再び世界で広く使われる技術を生み出すことを願っています。そのためにも、ただ他者を盲目的に模倣するのではなく、イノベーションが必要だと考えています。
Simeon Bochev:AIは、日本が抱える主要な課題に直接取り組むことで、日本の衰退を逆転させる大きな可能性を秘めていると思います。例えば、高齢化問題やAI支援による医療、労働力の減少などです。AIを活用して労働力を補完し、生産性を向上させることは素晴らしいことです。日本人は新しい技術を受け入れる素地があるという点も、触れておきたいところです。これは面白い話ですが、アメリカで行われた調査では、一般の人々がAIについて尋ねられた時、多くは恐怖で反応しましたが、日本では楽観的な反応が多かったそうです。これがすべてを物語っていると思います。日本の人々は技術を受け入れる準備ができているのです。ですから、もっとAIを使い、試し、その進展をサポートしていくことを推奨します。私自身、自分のビジネスを通じてその一助になれればと思っています。
※Sakana AIの自社開発モデルについては、以下のGENIAC成果報告会が非常にわかりやすいので、ぜひ併せてご覧ください。
取材/文/撮影:長岡武司