LoveTech Media編集部コメント
宇都宮大学の岡本昌憲 助教らの国際共同研究チームがこの度、少ない水で育つコムギの開発に成功した。
耐乾性に関わるタンパク質をコムギの植物体内で多く作らせることで実現したという。
近年、地球規模で起こっている気候変動は、大規模な干ばつの発生や砂漠などの乾燥地の拡大といった影響をもたらし、農作物生産の主な減産要因となっている。
一方、コムギは先進国だけでなく、経済発展に伴ってアフリカなどの発展途上国でも特に需要が増加している。
このような背景から、乾燥地でも育つ耐乾性に優れたコムギを開発することが急務となっていた。
今回の研究結果を応用して、コムギ栽培がこれまで困難であった乾燥地域において栽培範囲を広げることができれば、上記国々の食糧自給率を改善し、食糧の安定供給に貢献することが期待できるという。
今後の実用品種開発に向けた研究と実用性の検証に期待したい。
以下、リリース内容となります。
ポイント
- 耐乾性に関わるタンパク質を高蓄積させたコムギの開発に世界で初めて成功
- 開発したコムギは、少ない水で穀物生産を実現する節水型耐乾性の性質を有することが判明
- 乾燥地での食糧生産の切り札として期待
リリース概要
近年の気候変動による砂漠などの乾燥地の拡大は、農作物生産性低下の主な要因となっており、世界で増え続ける人口を養うため食糧の生産と確保が懸念されています。そこで、宇都宮大学の岡本 昌憲 助教らの国際共同研究チーム※)は、耐乾性に関与するアブシジン酸(ABA)注1)受容体に着目し、そのタンパク質をコムギの植物体内で多く作らせることで、水消費量を抑えながら穀物生産を実現する節水型耐乾性コムギを開発することに成功しました。本研究成果は、降水量が少ないために耕作が困難であった乾燥地や干ばつが多発する地域における食糧生産の切り札になることが期待されます。
本研究は、宇都宮大学 バイオサイエンス教育研究センターの岡本 昌憲 助教、鳥取大学 乾燥地研究センターの妻鹿 良亮 研究員および辻本 壽 教授、農業・食品産業技術総合研究機構 次世代作物開発研究センターの安倍 史高 主任研究員、理化学研究所 環境資源科学研究センターの菊地 淳 チームリーダーおよび金 俊植 基礎科学特別研究員らを中心とする国際共同研究チームによる研究成果として、2019年2月8日(英国時間)に国際学術雑誌「Nature Plants」のオンライン版で公開されます。
本成果は、科学技術振興機構(JST) 戦略的創造研究推進事業 さきがけ「フィールドにおける植物の生命現象の制御に向けた次世代基盤技術の創出(研究総括:岡田 清孝)」における研究課題「化学遺伝学的手法を利用した乾燥ストレス適応型作物設計」(研究者:岡本 昌憲、研究期間:2015年12月〜2019年3月)、科学研究費・若手研究(A)「化学遺伝学的手法によるアブシジン酸シグナル伝達機構の解明」(研究者:岡本 昌憲、研究期間:2017年4月〜2021年3月)、鳥取大学 乾燥地研究センター 共同研究(研究代表者:岡本 昌憲、研究期間:2017年4月〜2018年3月)、東京農業大学 生物資源ゲノム解析センター 共同研究(研究代表者:岡本 昌憲、研究期間:2015年4月〜2016年3月)などの支援を受けて行われました。
研究の背景と経緯
近年、地球規模で起こる気候変動は、大規模な干ばつの発生、および砂漠などの乾燥地の拡大といった影響をもたらし、農作物生産の主な減産要因となっています。一方、コムギは先進国だけでなく、経済発展に伴ってアフリカなどの発展途上国でも特に需要が増加しています。そのため、将来にわたって世界的な食糧の安定供給を実現するには、乾燥地でも育つ耐乾性に優れたコムギを開発することが急務となっています。
これまで、遺伝子の機能検証が比較的容易なシロイヌナズナなどのモデル植物では、単純に水を欠乏させる実験で植物の耐乾性が研究されてきました。しかし、乾燥地での植物生産を考慮する場合、植物が必要とする水消費量と種子収量の双方を評価する指標で研究する必要があります。そこで、本研究チームはコムギの耐乾性を向上させる技術の創出を試み、その耐乾性を詳細に調べました。
研究の内容
本研究チームは、植物ホルモンの1つであるアブシジン酸(ABA)が植物の耐乾性に関与することに注目しました。ABAシグナル伝達経路は高等植物に普遍的に存在することから(図1)、耐乾性作物の開発においてABA受容体の利用が有効であると考えました。そこで、コムギからABA受容体(TaPYL)の遺伝子を単離して、その受容体タンパク質を細胞内に多く蓄積(過剰発現)することができるコムギ(以下、TaPYLox)を世界で初めて開発することに成功しました。次に、TaPYLoxの耐乾性を評価するために、植物の生育に必要な水消費量と種子収量をさまざまな実験で詳細に調べ、その生理的特徴を明らかにしました。
TaPYLoxへの水やりを止めて水欠乏状態にしたところ、TaPYLoxは期待通りに、耐乾性を示し(図2)、この性質は葉からの蒸散注2)量が抑制された結果によることが分かりました。しかし、TaPYLoxの光合成注3)量は通常のコムギと変わらず、その結果、驚くべきことに水消費量当たりの光合成効率は約15パーセント増加していました(図3)。つまり、TaPYLoxは水消費の少ない高効率な光合成を行う特性があることが明らかとなりました。さらに、種子の生産量においても、TaPYLoxは水消費量を抑制できる一方で、最終的に得られた種子収量や種子成分が通常のコムギと比べて変わらないことが明らかとなり、水消費量当たりの1リットルで換算した場合に生産された種子量が35パーセント増加しました(図4)。次に、通常のコムギでは種子生産に異常が生じる少量の水で生育させた場合、TaPYLoxは種子形成の時期でも枯れずに種子が生産され、湿潤生育時と同等の種子生産量、種子の形状と成分が維持されていました(図5)。
これらの結果はTaPYLoxが水の消費を上手く節約しながら乾燥した環境、あるいは水の利用に制限のある地域でも、種子の生産性を維持し、高品質の種子を生産できる「節水型耐乾性」の能力を獲得したことを意味しています。
今後の展開
コムギは比較的乾燥した土地で栽培されていますが、干ばつや砂漠化によるコムギの減収は、今後大きな課題になることが予想されます。一方、アフリカをはじめとした発展途上国のコムギ需要の高まりから、コムギ栽培がこれまで困難であった乾燥地域においても栽培範囲を広げることができれば、それらの国々の食糧自給率を改善し、食糧の安定供給に貢献することが期待できます。本研究成果はこれらの問題解決の糸口になることが期待されます。
TaPYLoxはコムギ自身が持つABA受容体遺伝子を過剰発現させた遺伝子組換えコムギですが、社会的受容性を考慮し、現在、本研究チームでは、野生の遺伝資源で同様の性質を持つコムギを見いだしており、今後、世界の乾燥地における実用品種開発に向けた研究と実用性の検証を行っていく予定です。
- ※)国際共同研究チーム
- 鳥取大学:妻鹿 良亮、辻本 壽
- 農業・食品産業技術総合研究機構:安倍 史高
- 理化学研究所 :金 俊植、坪井 裕理、菊地 淳
- 東京農業大学:田中 啓介、小林 久人、坂田 洋一
- 九州工業大学:花田 耕介
- カリフォルニア大学リバーサイド校:Cutler Sean R.
- 宇都宮大学:岡本 昌憲
参考図
図1 ABAシグナル伝達経路
- (図ABA非存在下)通常の環境条件下では、コムギ細胞内にある脱リン酸化酵素のPP2Cは、タンパク質リン酸化酵素のSnRK2を阻害している。その結果、コムギの気孔は開いた状態を維持している(コムギの葉から多くの水が蒸散している状態)。
- (図ABA存在下)一方、乾燥などの環境ストレスによりコムギ細胞内でABAの生産量が上昇すると、ABAとABA受容体タンパク質が結合してPP2Cを阻害する。その結果、PP2CはSnRK2を阻害できなくなり、SnRK2は自己リン酸化により活性化する。そして活性化したSnRK2は下流へのシグナル伝達経路にある標的タンパク質をさらに活性化することにより、コムギの気孔は閉じる。気孔が閉鎖して水の蒸散量が減少することで、コムギは乾燥ストレスに対して抵抗を示す。
図2 TaPYLoxの耐乾性試験
水やりを停止して、乾燥ストレスに対する耐性を調べた結果、TaPYLox(L8)は通常のコムギ(コントロール株(C))に比べて、萎れにくい性質を示した。
図3 光合成における節水性
- (a)TaPYLox(L8とL17系統)の蒸散は少ないが、CO2固定は通常のコムギ(コントロール株(C))と同等であった。
- (b)蒸散量あたりのCO2固定量の比(水利用効率)はTaPYLoxの方が高くなっていた。
図4 種子収量における節水性
- (a)コムギが出穂の後、成熟していく(登熟)過程において、TaPYLoxの植物体は通常コムギの植物体(コントロール株(C))に比べ、登熟までに要した水の量は明らかに少ない。
- (b)種子収量で両者の差は見られなかったが、TaPYLoxは水消費量当たりの1リットルで換算した場合に生産された種子量が35パーセント増加していた。
図5 乾燥ストレス環境下での栽培試験
- (a)通常のコムギ(コントロール株(C))に比べて、少ない水でも枯れずに種子生産が可能なコムギTaPYLox(L8)。
- (b)水が十分にある湿潤条件で栽培した場合、両者の種子形態に大きな差は見られないが、乾燥環境下で栽培した場合ではコントロール(C)系統の種子が委縮する傾向が見られ、TaPYLox(L8)系統では、その萎縮が抑えられた。
- (c)種子の成分分析。水が十分にある湿潤土壌で栽培され収穫された種子は、コントロール(C)とTaPYLox(L8とL17)の間で差はほとんどないが、乾燥環境下で栽培した場合には、コントロール(C)系統の種子成分に大きな変化が生じるのに対し、TaPYLoxではその変化が起こりにくく、種子特性は湿潤環境下に近いものとなった。
用語解説
- 注1)アブシジン酸(Abscisic acidを略してABAとも記載される)
- 植物ホルモンの1つであり、環境ストレスに応答して合成され、植物のストレス耐性を制御している。特に乾燥ストレスに対する応答がよく知られており、ABAの合成が進むことで、下流のシグナル伝達経路が活性化して気孔を閉じて蒸散を抑制する。さらに、ABAは細胞を種々のストレスから守るために、アミノ酸や糖などの適合溶質と呼ばれる有機化合物群を蓄積し、植物がストレスに抵抗するのに役立っている。
- 注2)蒸散
- 植物の葉の表面に存在する気孔という小さな穴を介して大気中へ水蒸気を放出する現象。穴の直径は数マイクロメートル程度。葉の表面には無数の気孔が存在し、ABAによって気孔の開度は制御される。植物の約90パーセント以上の水は、この小さな穴を介して水分が失われるとされる。これにより植物の根から地上部に向けての水の流れが形成され、根が土壌から水分を吸収する際の推進力となる。また、乾燥によって気孔閉鎖が促進されると、水が道管内で保持されるため、乾燥ストレスに適応することができる。
- 注3)光合成
- 植物が葉の表面の気孔を介して取り込んだCO2を光のエネルギーを用いて、デンプンなどの炭水化物を合成する反応。ここでの光合成は気孔を介したCO2の同化効率を意味する。
論文タイトル
タイトル | “Tuning water use efficiency and drought tolerance in wheat using ABA receptors” (アブシジン酸受容体を用いたコムギにおける水利用効率と耐乾性の制御) |
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DOI | 10.1038/s41477-019-0361-8 |