希少疾患。
一般集団と比べると少数の人々にしか発生しない病気のことであり、現在までに世界で6,000~8,000程度の希少疾患が発見されている。医学文献では絶えず新しい病気が報告されており、また異なる病態や疾患を分類する際にどれくらい細かく分けるかによって数が変わってくるので、一つの指標で正確な疾患数を表現するのは不可能な状況となっている。
この希少疾患、日本においては「対象患者数が本邦において5万人未満であること」と厚生労働省が定義しているが、100万人に1人程度の超希少疾患も多いという状況から、各患者の疾患状態はもちろん、遺伝的背景・生理的状態を考慮して最適な治療法を設定する個別化医療が、ますます重要となってきている。
そんな社会背景の中、患者による情報管理に基づいた患者中心の医薬品開発推進を目的とするプログラムが発表された。
「患者中心主義に基づく希少疾患研究開発プログラム(Patient Centricity in Rare Disease R&D Program 略称:PCRD2 )」と題されたもので、東京大学と3Hホールディングス株式会社(旧クロエグループ)が、東京大学大学院薬学系研究科ITヘルスケア社会連携講座における共同研究として進めているものだという。
患者一人ひとりに寄り添う愛あるプロジェクトとして、LoveTech Mediaでも5月20日開催の記者発表会に参加してきた。
世界と日本における個別化医療と患者中心主義の流れ
はじめに、東京大学大学院薬学系研究科 ITヘルスケア社会連携講座 特任教授である今村恭子(いまむら きょうこ)氏が、昨今の医療業界における個別化医療含めた次世代医療の事例や、日本における潮流について解説された。
ITヘルスケア社会連携講座ホームページ
東京大学大学院薬学系研究科ITヘルスケア社会連携講座では、2018年11月1日の設立以来、3Hホールディングスを含む共同研究企業の各社(2019年5月現在では6社)と共に、患者を中心とした医薬品・医療機器・機能性表示食品等の研究開発や情報提供の推進を行なっている。
高まる個別化医療市場
従来型の医療では、問診や身体所見といった一般的診療情報に基づいて病名が確定すると、それに応じた標準薬が提供される。この際に患者一人ひとりの体質はほとんど考慮されないため、薬が効かない場合や、時に副作用が出現する場合もあるなど、医薬品の効果における個人差が多くあった。
それに対して個別化医療は、上述の一般的診療情報に加え、患者の遺伝的背景・生理的状態・疾患の状態等をバイオマーカーによって把握し、患者一人ひとりに適切な治療法を設定しようとする医療である。2010年に発表されたJain PharmaBiotechの報告書によると、2009年から比べて、この個別化医療の市場は2019 年には 4倍程度にまで拡大する見込みと予測されている。
出典:医薬産業政策研究所「製薬産業を取り巻く現状と課題〜よりよい医薬品を世界へ届けるために〜 第一部:イノベーションと新薬創出」産業レポートNo.5(2014年12月)
2015年1月20日にオバマ米大統領が一般教書演説で発表したプレシジョン・メディシン(精密医療)に関するスピーチを通じて世界的にも注目されることとなり、各個人に応じたオーダーメイド治療の機運が一気に高まったという経緯がある。
この個別化医療における我が国の具体的な取り組みとして、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(以下、AMED)「クリニカル・イノベーション・ネットワーク(以下、CIN)」推進支援事業における疾患登録システム(レジストリ)の利活用や、国立がん研究センターにおける日本初の産学連携全国がんゲノムスクリーニングプロジェクト「SCRUM-Japan」の開始と遺伝子パネル検査の承認、東京大学医科学研究所内に設立されたバイオバンク・ジャパンの活動などが挙げられる。
これらは「患者・国民に対する保健医療の質向上」を目的とする、厚生労働省の保健医療分野におけるICT化の推進を基軸とした取り組みの一環と言える。
出典:未来投資会議 構造改革徹底推進会合 「健康・医療・介護」会合(第1回)「②医療現場におけるICT利活用」(平成29年10月27日)
患者中心の医薬品開発
ここまでは国内事例を見てきたが、海外ではさらに一歩進み、「患者中心」を掲げた次世代医療の事例が多く確認できる。
この患者中心の医薬品開発(Patient Centric Drug Development)として、米国では2011年時点で以下4つの観点で「予防的」なものへと変遷するという論文が発表されている。
- Personalized(個別化):遺伝要因および環境要因による個別化
- Predictive(予測的):遺伝子情報およびバイオマーカーによる精密な予測
- Preventive(予防的):精密な予測に基づく予防的介入
- Participatory(参加型):患者個人による情報の理解と医療への参加
最近では特に、”patient centered”や”person centered”と題する論文の文献数も多くなっているという。
ここで最も重要となってくるのが、4番目に記載した「Participatory(参加型)」であるということである。
海外の患者支援団体による取り組みの代表的な事例として、EUPATI(The European Patients’ Academy on Therapeutic Innovation)という患者アカデミーがある。
出典:https://www.eupati.eu/patient-involvement/guidance-for-patient-involvement-in-regulatory-processes/
上図は医薬品の研究開発ライフサイクル全体を通して、患者が現在関与できる場所を示している。各段階において、患者の意見を取り入れるスキームに設計されているわけだ。
また、海外の規制当局による取り組みの代表的な事例として、米国のFDA Patient Representative Programがある。つまり、FDAの患者代表者を公募する仕組みである。
承認が検討されている医薬品や医療機器、およびバイオ医薬品についての助言、および規制当局の医薬品開発およびレビュープロセスへのフィードバックを期待したものであり、FDA患者代表は、各々の疾患をもつ患者とその家族の視点をFDAに提供する。
日本における患者・市民参画の潮流
このような、患者参加型の取り組みはまだまだ日本では少ないが、昨年11月に、AMEDのWEBサイトに「PPI(Patient and Public Involvement)」の取り組みページが新設された。PPIとはつまり、医学研究・臨床試験における患者・市民参画である。
今年4月には「患者・市民参画(PPI)ガイドブック~患者と研究者の協働を目指す第一歩として~」も公開され、実施に向けた具体的なヒントや、企画のコツ、どういった活動がPPIに該当するのかといった啓発情報が掲載されている。
この一連の流れの中で発表されたのが、今回の「患者中心主義に基づく希少疾患研究開発プログラム(以下、PCRD2)」である。研究者と患者をきちんと管理されたシステムでマッチングし、双方向のコミュニケーションを可能にし、データのオーナーである患者自身が主体的に研究開発に参加できる仕組みづくりの第一歩となるプロジェクトだ。
3Hホールディングスが目指す「患者中心主義」
次に、このPCRD2の具体的な内容について、3Hホールディングス株式会社 3Hライフサイエンス研究所 所長の牧大輔(まき だいすけ)氏より説明があった。
3Hホールディングス事業内容
3Hホールディングスは、以下、ライフサイエンス領域における3社を擁している。ちょうど今年の4月に、旧クロエグループから3Hホールディングスという持株会社制へと移行し、社名の商号変更も実施されたばかりである。
- 3Hメディソリューション株式会社(旧株式会社クロエ):被験者募集(Patient Reported Outcomes 、以下PRO)から開発業務受託機関(Contract Research Organization 、以下CRO)、患者調査・疾患啓発・DTC(Direct-to-Customer)といったヘルスケアマーケティング、食品ヒト臨床試験に至るまで患者と企業とのコミュニケーションを支援。
- 3Hクリニカルトライアル株式会社(旧株式会社クリニカル・トライアル):「生活向上WEB」や「RareS.」といったヘルスケアメディアの運営と10年以上の臨床試験・治験支援を行ってきたノウハウをベースに、医療と最新テクノロジーを融合したソリューションを提供。
- 3H CTS株式会社(旧株式会社CTS):被験者募集を最大限活用できる今までにない新しい形の治験施設支援機関(Site Management Organization 、以下SMO)。臨床試験・治験において症例集積を実現し、期間短縮・コスト削減に貢献。
東大ITヘルスケア社会連携講座との連携背景
旧クリニカル・トライアル設立の2005年から15年、同社では一貫して、医薬品開発の支援を行ってきた。そこで臨床開発や治験の約9割が、予定通りに終わっていないという事実を目の当たりにしてきたという。
なぜ終わらないのか。様々な原因がある中で、最大の要因は「被験者が集まらない」ということだという。
同社が運営するWEBメディア「生活向上WEB」や「RareS.」には、希少疾患含めた様々な治験への参加を施せる会員が80万人以上登録している。会員登録している患者の方々にヒアリングをしたところ、治験や臨床試験には「人体実験」「高額アルバイト」などといったイメージが日本で蔓延しており、そうであるがゆえに治験に参加する方々のモチベーションも上がらない、という因果関係があることがわかった。
また、この課題の根本部分として、患者自身への説明も足りていない可能性があることも挙げられた。患者にもしっかりとした知識や経験などの習得があることで、周囲のイメージにかかわらず、適切な判断を下せるようになるという。
そのようなライフサイエンス領域における課題を背景として、患者中心主義を取り入れた被験者リクルートメントとIoT支援をすべく、同社は昨年11月より、ITヘルスケア社会連携講座における共同研究を開始した。
マッチングシステム構築の背景
患者が切望する新薬を開発するうえで、患者の健康情報や血液や唾液等の生体サンプルが解析に不可欠となってくるが、製薬企業やバイオベンチャー、アカデミア等の研究者がこれらにアクセスするのは困難な現状にある。
また、所属する企業のガイドラインで患者に直接アクセスすることを制限している場合もあり、こうしたコミュニケーション上の障害で患者のニーズに合った研究開発がなかなか進まないことがある。
さらに近年では、製薬企業や医療機器企業のみならず、異業種からの開発参入も増えており、患者の多面的なニーズや情報を正確に把握し有効に活用することは迅速な研究開発にとって極めて重要である。
そのためには、従来のような第三者的なデータ管理だけに依存することなく、情報のオーナーである患者が自身の情報を管理し、十分な状況判断に基づいて希望する研究への協力を取捨選択するといった「患者中心の開発」が、今後のイノベーションの実現に必要不可欠と言えるだろう。
こうした課題をふまえての共同研究による新プログラムとして、3Hホールディングスは、患者からの研究に対する要望に基づいて企業/ベンチャーの研究者にその期待を共有すると共に、研究者からも研究の目的と期待される結果をわかりやすく説明してもらい、双方の了解が得られた場合に限り、医療情報及びサンプルの提供と、それに対応する研究結果の通知を行うマッチングシステムを構築する。
第1期は20プログラムを採択予定
まず今年6月に、ITヘルスケア社会連携講座にて、希少疾患や希少癌の患者を対象として医療ニーズを解決するための研究への参加意欲(生体サンプルや遺伝子情報を用いた解析、治験や臨床研究、治験参加の適否を迅速に判断する為のPHRの医療情報活用等)について調査を行う。
併せて、適切な情報のやりとりに必要な体制の構築や運営状況の透明化等に関する意見を集約するとともに、患者が情報を正しく理解して選択できるためのカウンセリングのあり方についても調査を行うことで、患者が主体的に参加できる医薬品・医療機器の開発のあるべき姿を提言して行く。
その後7月には、研究者と患者のマッチングをスタートさせ、8月には倫理審査委員会を経て、マッチングした患者に対して検体・サンプルの提供を開始するというスケジュールだ。
第1期となる今回は、まずは疾患ベースで分けた20のプログラムを採択するという。さらに2020年からは、特定の疾患名のつかない、症状ベースで悩んでいる患者候補の方々についても対象範囲として広げ、マッチングをしていく予定だという。
プログラムを通じて蓄積したデータや知見をもとに、希少疾患・難病の課題となっている早期診断の仕組みづくりにも着手していく想定であり、社会にしっかりと根付くような形で持続性ある仕組みを実現すべく、ITヘルスケア社会連携講座に横軸で入ってもらうモデルにしている。
患者自身の意識も上げていく必要がある
発表会当日にはメディア関係者以外にも、患者であるCMT友の会の方も参加されていた。
シャルコー・マリー・トゥース(Charcot-Marie-Tooth; CMT)病は末梢神経の異常によって四肢の感覚と運動が徐々に障害されていく、遺伝性の進行性神経疾患です。遺伝性運動感覚ニューロパチー (Hereditary Motor and Sensory Neuropathy; HMSN)とも呼ばれます。 アメリカではだいたい人口2500人に1人の割合でCMTの患者さんがいると言われていますが、日本では特定疾患の指定を受けられず、患者数の把握さえもできておりません。
手袋靴下型と表現されることがあり、手足の付け根よりも先端の方から症状が現れてきます。症状の出現は思春期から青年期が多いのですが、それ以前、或いはそれ以降に現れるケースもあります。
CMTという一つの病気として扱われていますが、原因となる遺伝子が次々に見つけられ、複数のタイプに分けられることが分かってきました。しかし、 残念なことにCMTを完治させる治療法や、進行を遅らせる治療法として確定したものはありません。全世界で研究は進められていて、将来の治療法の候補は 次々に発表されています。
また、私たち日本のCMTerもそれぞれの生活の中で自分なりに工夫をしております。どんな工夫が良いのか悪いのか今は分かりませんが、私たちの集まりに参加して頂ければ、CMTとの付きあい方が見つかるかもしれません。
CMT友の会ホームページより抜粋
上述の通り、わが国ではCMTは特定疾患の指定を受けられないことで、患者数の把握すらままならない状況となっている。
CMTに限らず、実際に多くの希少疾患では、難病班や患者会すらないこともあり、そのような患者やご家族と、製薬企業やバイオベンチャー・研究機関などは繋がりようがないという実情がある。
そのような観点からも、診断が確定していない患者や、診断はついたものの治療法の無い患者など、より多くの患者とのネットワーク構築が大切であり、それゆえに今回の新プロジェクトは、これまで医療における様々なステークホルダーにアクセスできなかった方々にとっての貴重な場となるだろう。
また、当日参加されたCMT患者の方は、エキスパートペイシェント、つまりは患者専門家の育成も必要だと訴える。患者以上にその疾患を熟知している人はいないと言うことで、そうした患者の「経験知」を尊重し、医療に役立てていこうというものだ。
日本では「医者に任せれば良い」という患者も多い現状があり、まだまだ浸透できていない概念だからこそ、患者中心主義を推進していくためには、患者自身の意識も上げていく必要があるだろう。
編集後記
昨今のテック業界において「各種個人データの本人に帰属するもの」というテーマが頻繁にさけばれており、その建前として大きく打ち上げられたのが、2017年にEUで全面施行されることになったGDPR(EU一般データ保護規則)であると言えるでしょう。
それにより個人データの管理がプラットフォームから個人に移動するという、パーソナル・データ・エクスチェンジ(PDE)の流れを受けた、データ全体主義からデータ個体主義への転換が加速しています。
今回発表されたPCRD2も、データのオーナーである患者自身が主体的に研究開発に参加できる仕組みとして、この流れに準拠していることは自明であると感じます。
欧米に比べて、プラットフォーマーに対する個人データへの危機意識がまだ低い日本だからこそ、患者さんを中心としたステークホルダーへの「啓発」は、中長期的に非常に重要な取り組みと感じます。
なお、希少疾患における障害や疾患は、私たち一人ひとりが将来加齢と共に患う疾患の根幹である可能性が明らかになりつつあることを、今回の取材を通じて知ることになりました。つまり、私たちは全員、重篤な希少難病の原因遺伝子を一つは保持しているということです。
ゆえに、希少難病の方を救う治療法は、私たち全ての人間が、年老いて罹患する重篤な慢性疾患の治療法につながる事になります。
そういう観点からも、市場的インセンティブが働きにくい領域に切り込む今回の取り組みを、LoveTech Mediaとして引き続き追って参りたいと思います。