ロコモティブシンドロームという言葉をご存知だろうか。
「立つ」「歩く」といった人間の移動機能が低下した状態を示し、骨・関節・軟骨・椎間板・筋肉といった運動器のいずれか、あるいは複数で障害が起こり、なる症状だ。通称”ロコモ”とも言われ、進行すると日常生活に支障が生じ、介護が必要になるリスクが高まる。人類が未だ経験したことのない超高齢社会・日本の未来を見据え、2007年に日本整形外科学会が提唱した概念である。
今、日本人はどんどん”歩けなく”なっているというのだ。
この深刻な課題に対して2018年12月12日、新たに「LOCOMONOVATION(ロコモノベーション)」というプロジェクトが立ち上がった。
ロコモ チャレンジ!推進協議会 室 健(むろたけし)委員
従来の医療的観点のみならず、「医療×テクノロジー×コミュニケーション」という3つの視点から「人類が歩き続ける・移動し続けるためのアイデア」を探求し、移動の自由・個人の自由を守り続けるために課題解決策を策定、実現していくためのプロジェクトだ。
2010年設立からロコモの正しい知識と予防意識啓発のための広報活動を推進してきた「ロコモ チャレンジ!推進協議会」と、メディアアーティスト・落合陽一(おちあいよういち)氏が研究代表者を務めるJST CREST xDiversityプロジェクトが連携して立ち上がったLOCOMONOVATION。
その詳細を探るべく、プロジェクト発表会にてお話を伺ってきた。
医療アプローチから見るロコモへの予防と解決策
はじめに、ロコモ チャレンジ!推進協議会 委員長としてロコモ認知向上の啓蒙を進める大江隆史(おおえたかし)氏が、これまでロコモ解決に向けて取り組んできた活動をお話された。
そもそも、ロコモーションとは英語で「移動」を意味する。かつての類人猿にとっての移動は四足歩行であったが、人類はそこから二足歩行に進化してきた。生き延びるために二足歩行となった人類は急速に脳が進化し、両手を使うことで、安定して道具を使い、長時間にわたって物を運ぶことができるようになった。
「そんな二足歩行という特異な進化を遂げた人類特有の症状がロコモです。」
人の運動器に障害が起きることで、移動機能に低下が起こり、進行が進むと介護が必要となるリスクが高まるというのだ。
実際に、要介護の原因を調べてみると、認知症・脳血管疾患・高齢による衰弱と続く。そしてそれらを「臓器別」にカテゴライズすると、なんと運動器障害を起因とする要介護が1位となるのだ(平成28年国民生活基礎調査より)。
ロコモが進行すると、障害の連鎖が起きる。例えば以下の例では、転倒をきっかけに複数回骨折をしてしまう進行例だ。骨・関節・軟骨・椎間板・筋肉といった運動器で障害が相次いでしまう。
こうなってしまっては回復が難しいので、大江氏らロコモ チャレンジ!推進協議会では、約5000万人にのぼるロコモ予備軍に対する、
そのソリューションの一つが「ロコチェック」と「ロコトレ」。簡単なチェックシート「ロコチェック」を通じて自身がロコモかどうかを確認してもらい、各症状や状態に応じて運動器の機能障害に対応するトレーニングやバランス訓練、筋力訓練などの「ロコトレ」を進めていくというものだ。
上図の通り、各部位の症状・状態に応じて「運動」「投薬」「手術」とアプローチを分けて解決策を介入させている。
「とはいえ、これまでの啓蒙活動に加え、医療と何かを掛けあわせないと、抜本的なロコモ認知向上と予防につながらないと考えました。そのための新たな取り組みがLOCOMONOVATIONとなります」
タスクオリエンテッドなテクノロジー活用
では医療と何を掛け合わせれば良いか。プロジェクトチームの解の一つは「テクノロジー」である。
ロコモのない社会に向け、テクノロジーからのアプローチで目指す未来について、メディアアーティストであり、JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表者である落合陽一氏にお話いただいた。
「一人ひとりの個性をどうやってテクノロジーで拡張できるか。このことを我々は大きな問題として認識しています」
落合氏がこう語る社会背景として、日本特有の人口トレンドにある。世界では人口増加がメイントレンドであり、人口構成も若者の比率が高いピラミッド型だ(下図左)。一方日本は人口減少トレンドであり、人口構成も少子高齢化の波を受けて、いわゆる棺おけ型となっている(下図右)。少数の若者が多数の高齢者を支える社会構造に進んでいる。
「僕たちと高齢者の分子と分母の関係は昔から変わっていません。僕たちは小さい頃に、大人になったら大変になるよと言われて育ってきて、事実今大変なことにになってきた、という状況です。後になればなるほど少子高齢化問題は大きくなるので、早期の課題着手が必要と考えます。」
その打ち手としてAI、ロボティクス、ヒューマンインターフェースなどのあらゆるIT技術の社会実装だという。
この社会実装には2段階のフェーズがあるという。第1段階では、テクノロジーを駆使していかに今の若い世代の労働負担を減らすかという点がポイントになる。
そして第2段階では、第1段階の状況が落ち着いてきたタイミングで、テクノロジーを活用しての高齢者の労働力化がポイントとなってくる。2040年頃には第1段階が落ち着き、高齢化の波もひと段落していると言われている。
「我々のメソッドは、とあるタスクを攻略するためにどうテクノロジーを使うか、というタスクドリブンな考え方です」
例えばAIを例にすると、今の一般的なAI技術は汎用化を前提として画一的なメソッド作りに注力し、そのメソッド確立後に、個別具体的な問題解決に向けて適した形にフィットさせていく手法をとっている。しかしこれでは、例えば個人の身体の課題一つひとつに対応させることが難しく、多様性への拡張性が低い。
一方、落合氏率いるxDiversityチームによるアプローチでは、個別具体的な解決策を先に考え、多様な解決策をAIに学習させることで、最初からAI自体を課題に最適化していく、という手法を探っている。タスク・オリエンテッドという開発手法だ。
義手や義足などの「タスク特化型デバイス」と、インプット情報から環境認識する「タスク特化型認識器」を組み合わせることで、社会にある課題をどのように解決していけるか、という研究開発を進めている。
「やがて汎用的な認識器が出てくれば良いのですが、それを待っている時間は我々にはないです。ちなみに、五感や身体などの能力多様性に関わる困難の解決が、AI基盤の導入対象としては適しています。なぜならば、あったら便利・快適ではなく、そもそも必要不可欠な課題だからです。」
今回、落合氏率いるプロジェクトチームがロコモに着目した理由は、どうやったら予防とQOL向上にテクノロジーが入れられるかという観点の他に、そもそもテクノロジーと向き合っている我々世代がロコモシンドロームについてあまり知らない、という課題感があったという。
「社会認知を広げつつ、テクノロジーを開発し、むしろそのテクノロジーにお世話になる人を減らす、ということをどうやって同時解決していくかが大きな課題と感じています。団塊世代が後期高齢者になるのは2025年であり、あと7年でロコモの認知を上げ、この課題を同時並行的に解決していかねばならない。とにかく時間がないんです。」
実際に落合氏が携わった取り組み事例として、富士通株式会社が社会課題の解決に向けて推進するオープンイノベーション活動で取り上げている「Ontenna(オンテナ)」との共同プロジェクトがある。「人間の身体や感覚の拡張」をテーマに、ろう者と一緒に新しい音知覚装置として研究開発されたプロダクトであり、これのAI化で落合氏と共同研究を進めている。
進めていく中で、いかに社会認知を広げるかという課題があり、それに対して2018年夏に「音楽会」を開催したという。会の詳細は、以下の動画を参照していただきたい。
ポイントは、どんな方でも楽しめるコンテンツになっているということだ。耳で聴かない人だけのコンテンツだと、お客様が足りず、マーケットとして小さい。いかに当事者とそうでない方をミックスし、複数のカウンターパートを接続しながら問題を解いていくかがポイントだという。
「ロコモのケースだと、高齢者はテクノロジー開発に興味がないだろうし、テクノロジー開発に携わっている人も高齢者には興味がないでしょう。でもこの両者を結びつけることで、新しい社会の発見と社会問題の解決につながるのではないかと考えています。」
ロコモの問題を再定義
医療、テクノロジーと続き、LOCOMONOVATIONでは「コミュニケーション」の必要性も説いている。コミュニケーションはどのように二足歩行のアップデートに貢献できるのか。TBWA HAKUHODO シニアクリエイティブディレクターの近山知史(ちかやまさとし)氏が解説された。
歩行に関連するプロジェクトとして、近山氏の携わる車椅子プロダクト「COGY」が紹介された。
COGYとは、歩行が難しい方でも、どちらかの足が少しでも動かせれば、自分の両足でペダルをこげる可能性のある車椅子である。
「右足を動かしたあとは左足」という反射的な指令が脊髄の「原始的歩行中枢」からでていると考えられており、脳からの指令がうまく足に伝わらずとも、片方の足がわずかでも動けば、反射的な指令によってもう片方の麻痺していた足が動くというわけだ。
「車椅子に乗ることは仕方のない選択肢というネガティブなイメージから、よりポジティブな選択肢として認知されたい。そのような思いから、COGYのキャッチコピーを『あきらめない人の車いす。』に再定義しました。」
また別の事例として、認知症の方々が従業員として働くレストラン「注文を間違える料理店」も、近山氏が仕掛けた取り組みだ。
実に3回に2回くらいは、オーダーを受ける従業員が注文を間違えるという。でもお客さんの方で「間違える」というマインドセットが出来上がった状態で入店されるので、店内は笑いが絶えないようだ。
認知症の問題は、突き詰めて考えると社会の不寛容さの問題であると言え、そこに「ま、いいか」の空気を作ることをコンセプトにした取り組みである。
非常に簡単で真似しやすい方法だからこそ、全国で賛同者がのってきて、各地で同様の取り組みが実施されているという。
上記の2事例を参考に、ロコモに対しては2つの要素で貢献できるとのこと
「一つ目は、二足歩行を高齢者の問題からみんなの問題にすること。そして二つ目は、二足歩行の意味やよろこびを拡張すること。この2つの目的を持って、取り組んでまいりたいと思います。」
老化が肯定的に捉えられる世の中になってほしい
2018年12月12日に開始したLOCOMONOVATIONプロジェクトは今後、以下のスケジュールを想定している。
2018年12月 プロジェクトローンチ
2019年2月 Open Ideation<二足歩行を多様な視点から考える>
2019年4月 Ideation Meetup
2019年5月 協働事業者募集
2019年7月 協働事業者決定
2019年8月 共同開発開始
2019年12月 中間発表セッション
2020年4月 LOCOMONOVATION第一弾発表予定
直近では2019年2月のOpen Ideationということで、当事者のみならずロコモに課題意識を持っている方、全く知らない方まで、広く意見を募集するとのこと。
最後に登壇者3名に、それぞれLOCOMONOVATIONに期待することとしてコメントを頂いた。
大江氏:ロコモの認知度について、70歳以上の方は70%以上がご存知で、一方30〜40歳の方は30%程度にしか認知されていない。これまで医療の分野で活動してきましたが、今後はそこにとどまらないことで、これまで知らなかった層にも訴求できる、ということに期待しています。
落合氏:若い方が、テクノロジーを使って高齢化の問題を解決することがカッコイイ、と思える社会にしたいですね。あと僕自身は、歳をとって体が動かなくなること自体は悪いことではないと思っておりまして、老化が肯定的に捉えられる世の中になれたらいいな、と思います。
近山氏:「二足歩行じゃなきゃ健全じゃない」という世の中ではなく、例えば車椅子でもいいし、両足がなくてもいいし、極端な話だと3本足で歩いたり。20年後・30年後とかに、「そういえば俺たち、昔二足歩行してたよね」みたいな世の中になっていったらいいな、と思います。
編集後記
1993年に公開された映画「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」にて、ロボットと共存する世界で生活する人々(設定としては宇宙人だが)は、便利なパーソナルモビリティに常に乗車したまま生活しているので、脚の筋力が低下し、自力では満足に立てない様子が描かれていました。
筆者が子供の頃は「あくまでアニメの中の話」と思って観ておりましたが、今やその世界が現実になろうとしていることが、ロコモの解説を通じてよくわかりました。
落合さんがおっしゃっているように、複数のカウンターパートを接続しながら課題解決を進めていかないと、上記アニメのような弊害に気づかないテクノロジーの乱活用にも、下手をしたらつながってしまうと感じます。
医療×テクノロジー×コミュニケーションという3軸でのアプローチに、今後もLove Tech Mediaとして注目しております。